R・クロファードの報告
8月31日



 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 バンベルク、1796年8月31日

 閣下、
 今月24日の戦い以降、ジュールダン将軍がいくつかの縦隊でフェルデン、ペークニッツなどを通りエーベルマンシュタットとフォルヒハイムの方角へ退却を続けていることを閣下に謹んでお知らせします。彼は、最近ヴァルテンスレーベン将軍に指揮されていたものと、同様に殿下がドナウから一緒に連れてきた兵たちによって構成されている大公の軍にしっかりと追撃されていました。
 今月25日、クライ中将麾下の前衛部隊はスルツバッハからホーエンシュタットへ行軍し、その場とフェルデン間の隘路で敵のかなり大きな輜重縦隊が捕らわれるか破壊されました。先立つ夜にアンベルク近くで宿営していた兵たちもクライ将軍の行軍に続き、大公は司令部をスルツバッハに移しました。
 26日、クライ中将は敵をグレーフェンベルクの方角へ追撃し、ホッツェ中将はラウフェンからレートニッツ川沿いのエアランゲンへと前進しました。前者はその右翼、フェルデン、ノイハンク、ベルヒなどの周辺をエルスニッツ少将に、後者は左翼を、ニュレムベルクを通過した少将リヒテンシュタイン公に守られていました。大公の縦隊はスルツバッハの宿営地からペークニッツ川沿いのヘルヒシュプルックまで行軍しました。
 27日、リヒテンシュタイン公の軍団を前衛部隊としたホッツェ中将はレートニッツ川を渡ってアイシュ川沿いのホッホシュタットへ移動し、クライ中将の軍団はグレーフェンベルク、ベッツェンシュタインなどへ、そして軍はヘルヒシュプルックからラウフェンへ行軍しました。
 28日、リヒテンシュタイン公の軽兵はバンベルクのすぐ傍でレートニッツ左岸に接近しました。クライ中将はノイキルヒへ、大公はヘロルズベルクへ行軍しました。
 29日、前衛部隊の接近に伴い敵は大慌てでフォルヒハイムの強力な要塞を放棄し、退却を守るため製粉所とヴィセント川にかかる橋に火をつけました。ほぼ1個師団で構成される後衛部隊は夜の間に左翼をエグレスハイムの高地に、右翼をレートニッツ川に拠る陣をフォルヒハイムからバンベルクへ通じる道路上に敷きました。軍はバイエルスドルフとフォルヒハイム間に宿営しました。
 30日早朝、クライ中将はエグレスハイム近くの敵の陣地を攻撃するため前方へ移動しましたが、彼らはあまりに早く陣を放棄したので本格的な交戦が行われなかっただけでなく、山岳部を通って敵の左翼を迂回するため送り込まれた縦隊も彼らの退却に襲い掛かるのに間に合うように到着できず、彼らの損失は大したものではありませんでした。クライ中将はかれらをバンベルクへと追撃し、大公は司令部をヒルシャイトに置きました。レートニッツ左岸ではホッツェ中将がブルク=エベラッハへ前進し、リヒテンシュタイン公麾下の前衛部隊をマイン河沿いのエルトマンまで押し出しました。ホッツェ将軍の行軍に続いたスタライ中将の軍団はクロスター=エベラッハへ前進しました。30日早朝、ジュールダンの軍、即ち重砲兵などはハルシュタットでマイン河を渡り始めました。
 これと直前の手紙で私が閣下に描写する名誉を担った作戦全体の間、殿下の偉大な目的はジュールダン将軍を決定的な戦いに引き込むことでしたが、ドナウからアンベルクの間に兵が通過しなければならなかった悪路と隘路は彼らの行軍を大いに遅延させ。ジュールダンに引き上げる時間を与えました。そしてそれ以来、とても山がち、森がちで、障害物が交錯し、騎兵を使うのが実用的でない地形に大いに助けられながら、彼は本格的な交戦を避けるのに成功しています。
 敵を本格的戦闘に引き込むことが不可能なのは大いに残念ですが、にもかかわらず、大公が彼らに突然の退却を強い、既にジュールダンが疑いなく望んでいたに違いない場所からかなり遠くへ彼らを追いやったこの巧みな機動が、最終的には殿下にとってあらゆる点で名誉になるであろうと同時に、戦役の全般的な結果に望ましい効果を及ぼすだろうと希望する強い理由があります。
 異なる縦隊が何人の捕虜を取ったかについてはまだ閣下にお知らせすることができません。23日のノイマルク近くの戦闘でかなりの数を、アンベルクの戦いでは900人から1000人を捕虜に取りました。それ以降に得たものについては次の手紙で閣下にお知らせいたします。
 今月25日にはナウエンドルフ少将麾下の軍団がイーゼル川の背後にいるラ=トゥール将軍を増援するため派出されました。
 27日、フランス軍は、これ以上生命を危険に晒さずに運ぶことが不可能だと知り、クロファード中佐を護衛兵とともにベッツェンシュタインに残しました。彼らは捕虜交換されるまで共和国に敵対する軍務に就かないことを宣誓するよう彼に要求しました。交換はすぐになされるものと私は信じています。彼はマスケット銃弾で頭部を最も酷く負傷していますが、幸福なことに殿下が(この機に於ける彼の高潔さは真に偉大なものです)喜んで彼に大公自身の主治医を送ったほか、同様に彼の世話をする他の外科医もおり、彼の回復を希望できる大いなる理由を与えてくれていると閣下にお知らせできます。
 もし私が数日軍を離れる場合には、最近ベルリンから来た近衛連隊のアンストラザー大尉があらゆる出来事について閣下にお知らせいたします。
 敬具
 ロバート・クロファード

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p85-87


――1796年ドイツ戦役史料集に戻る――