ジュールダンの報告
8月24日



 サンブル=エ=ムーズ軍司令官ジュールダン将軍から総裁政府への手紙の抜粋。――司令部にて、共和国暦4年果実月7日[1796年8月24日]

 市民総裁殿、
 私があなた方の命令に従ってヴァルテンスレーベン将軍を追撃しながらも会戦を受けて立たせることができなかった間、ヴァルテンスレーベン将軍と合流するため2万5000人の部隊と伴に来たカール公子が、私の連絡線を守るためノイマルク前面のタイニングにいたベルナドット将軍を5日に攻撃したことを謹んでお知らせします。
 ベルナドット将軍はこの機会にその才能と勇気に関する新たな証拠を示し、彼の指揮下にある兵たちは実に恐れ知らずに戦いました。しかし数の前に引き下がらざるを得ず、この将軍は包囲されるのを避けるためラウフとニュルンベルク間に後退することを余儀なくされました。
 続いてカール公子は、ベルナドット将軍に後退を強いた部隊の大半を私の背後に投入し、そして今度は私が、連絡線のほとんどない地域で包囲される危険に晒されました。
 敵の配置と戦力は、明らかに軍の安全を脅かすことなく彼らと戦うことを私に許さないものだったため、私は昨晩アンベルクへ退却しました。この地に到着するや否や私は正面からヴァルテンスレーベン将軍に、側面から[カール]大公に攻撃されました。兵の名誉と義務を必要とした抵抗の後に、私はスルツバッハまでの後退を余儀なくされました。この戦闘に関する詳細はまだお伝えできません。我が砲兵は失われていないと思います。私は今夜出発し、フェルデンからグラーフェンベルクそしてフォルヒハイムへと後退し、そこで軍を集結させるつもりです。
 モロー将軍がこの状況を利用し、そして彼が手に入れる成功によって私に従う戦力がすぐドナウ河畔に戻ってこられることを期待しています。
 敬具。

 ジュールダン。

google book "Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Vingt-Huitième." p418-419


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