C・クロファードの報告
7月12日



 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 エスリンゲン、1796年7月12日

 今月10日、ヴァルテンスレーベン将軍がベンゲンへの退却を準備し、彼の軍をフリートベルクの宿営地にあつめたちょうどその時にジュールダン将軍から攻撃を受けたとのニュースが今朝到着したことを閣下に謹んでお知らせします。
 あらゆる報告によると、敵はオーストリア軍の4倍近くも強力でした。オーストリア軍は連続した3回の攻撃を撃退した後で、数百人と大砲1門の損害を出してベンゲンへ退却することを余儀なくされました。
 ヴァルテンスレーベン将軍の軍はラーン沿いに3つの軍団に分けられ、いずれもベンゲンへ向けて行軍していましたが、そのいずれも成功の可能性がある結果のために踏み止まるだけの十分な戦力はありませんでした。そこで敵はオーストリア軍がその陣地を去ろうと考えていた日の朝に強行軍でフリートベルクの地点に到着し、彼らに抵抗するには決して適切でない部隊を見つけ、私が上に述べたようにこの状況を利用しました。
 適当な守備隊がマヤンス、マンハイム、フィリップスブルク、及びエーレンブライトシュタインに残されました。大公はプフォルツハイムに宿営を続けています。コンデ公はフィレンガー[フィリンゲン?]に、フレーリヒ将軍はいまだにブリスガウにいます。
 敬具

 C・クロファード

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p68


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