C・クロファードの報告
6月10日



 ホックハイムの司令部 1796年6月10日

 閣下、
 今月6日、敵が自らの右側面を迂回するための機動をしていることに気づいたヴュルテンベルクのフェルディナント公がシンバッハ川からラーン川へ退却し、左翼はナッサウ、右翼はヴァイルベルクに軍団を置き自らはリンブルクに布陣したことを閣下に謹んでお知らせします。右翼部隊はその方面における敵の動きを監視する目的でヴェッツラーの近隣に軽騎兵5個大隊を派遣しました。ヴュルテンベルク公へ送られた最初の増援は7日に彼と合流しました。他のいくつかの兵もラーンの陣地に到達し、[カール]大公がこの重要な機会に用いた活発で精力的な対応により敵のさらなる前進は効果的に食い止められました。
 ヴュルテンベルク公に対するクレベール将軍の成功の直後、ジュールダン将軍はノイヴィートでラインに架橋し、全力を挙げて彼の軍の主力をラーン右岸に集めています。彼の第一の目的は明らかにフランクフルトへの前進です。しかし大公が完全にその計画を挫いたため、彼は今やその目的を彼が取り囲んだエーレンブライトシュタインの攻囲に限定したようです。大公はゼルツ川の背後、マヤンス[マインツ]とアルツェイ間にメルカンタン将軍麾下のかなりの軍団を残し、今や主力軍とともにジュールダンに向かって行軍しています。皇弟殿下の司令部は今月6日にオーベルムシェルからクロイツナッハとアルツェイを結ぶ道路を経由してヴォンスハイムに移りました。8日にはニーダー=ウルムへ、9日には現在地へ移動し、今日はそこにとどまっています。彼の軍のうちジュールダン将軍に対してすぐ行動することになっている部分は全てマヤンスでラインを渡河し、気迫に満ち勝利を信じて敵に向かって前進しています。
 ヴルムゼル元帥は、モロー将軍が今やそちらの方で起こすよう誘発されているあらゆる試みに対して左翼の安全を保つため、十分な数の兵を上ラインに派出しました。[ヴルムゼル?]閣下は軍の一部とともにいまだライン左岸[右岸?]のレー=ヒュッテからフランケンタールまでの陣を維持しています。その左翼はレーバッハ川の下流によって、正面と右翼はレーバッハからフランケンタールまで平野を横切り、そこからエルデンハイム[?]の森の一部を通ってラインへと流れ込んでいるフローレバッハと呼ばれる運河によって守られています。
 私はすぐに、ジュールダン将軍に対する皇弟殿下の成功の記録と、その結果としてのエーレンブライトシュタインの解放を閣下へ伝える名誉を担えるものと期待しています。この方面ですぐに追求されるであろう活発な攻撃によって結果は保証されているように見えます。
 敬具

 C・クロファード

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p23-24


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