C・クロファードの報告
6月6日



 オーベル=ムシェル、1796年6月6日

 4日と5日にジーク川の軍団を指揮しているヴュルテンベルクのフェルディナント公から報告を受け取りました。その概要は以下の通りです。
 デュッセルドルフ近くにいた敵兵2個師団は北方軍からかなりの増援を受けてジーク川へ進軍し、いくつかの激しい戦闘の後で1日、ヴュルテンベルク公の前哨線を同河川から立ち退かせました。そして殿下はハッケンブルク近くのコルバッハに布陣し、前衛部隊をアルテンキルヒェンに置きました。
 3日、敵はアルテンキルヒェンの陣地を攻撃し、可能な限り最も頑強な抵抗を経験した後で多くの損害を出しながらそこを奪いました。オーストリア兵が示した勇気に勝るものはあり得ませんでしたが、彼らは大きな数の優位を前に退却を強いられ、敵はライン右岸に持っている戦力の主な部分をこの1点に投入してきました。

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p23


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