クロファードの報告
1795年11月23日



 ロバート・クロファードからグレンヴィル卿への手紙の抜粋、マンハイム近くのヴルムザー将軍の軍司令部にて、1795年11月23日

 マンハイムの司令官が一昨晩、その地の降伏について提案をするためヴルムザー将軍に士官を送り、昨日朝に締結された降伏では守備隊は通常の名誉ある降伏に従って行進し、武器を斜堤に置き、そして戦時捕虜になると合意されたことを、謹んでお知らせします。
 降伏が署名されるや否や、オーストリア兵が外郭部の施設と、町の2つの門、即ちハイデルベルクとライン門を占拠しました。
 守備隊は今朝行進し、そしてこの地は攻囲壕を掘ってからたった12日の攻囲の後に、皇帝陛下の名の下にヴルムザー将軍が手に入れました。
 この出来事によって戦時捕虜となったフランス兵は10個半旅団、あるいは歩兵30個大隊と、それにふさわしい数の砲兵部隊、土木工兵、地雷工兵など、及び1個ユサール騎兵大隊から成っており、全体で将官4人、士官389人、及び下士官と兵9949人に達しました。
 軍が弱体化かつ落胆し、その戦力が日々発生している膨大な脱走によって急速に減少している現状において、この多大な戦力の減少は敵も深刻に感じているはずです。
 同封したマンハイム守備隊のリストはこの件に監視あらゆる場所から受け取っている情報が真実であることを裏付ける証拠です。即ち、10個半旅団、あるいは歩兵30個大隊は、もし完全なら3万人に達するはずですが、実際の戦力は8372人しかいません。士官たちは徴収兵を受け取らなくなってから長い時間が経っていることを認めています。

 降伏時のマンハイムのフランス守備隊の状況
部隊名 士官の数 下士官と兵の数 合計
第19半旅団 38 866 904
第169半旅団 37 996 1033
第108半旅団 11 404 415
第139半旅団 26 694 720
第204半旅団 18 498 516
第4半旅団 16 715 731
第89半旅団 59 886 94[sic]
第202半旅団 44 1105 1149
第21半旅団 45 1000 1045
第26半旅団 37 877 914
第7ユサール連隊分遣隊 4 50 54
土木工兵第4大隊 7 304 311
土木工兵第8大隊 3 172 175
地雷工兵第6中隊 3 29 32
軽砲兵第5連隊分遣隊 1 45 46
砲兵第5連隊 33 631 664
ライン架橋工兵 6 111 117
国民憲兵隊 1 27 28
病人及び負傷者 - 539 539
合計 389 9949 10538

google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p54-55


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