マンハイムの降伏条件
1795年11月21日



 マンハイムのフランス兵指揮官モンテーニュ将軍が、同市前面にいるオーストリア兵指揮官伯爵ヴルムザー将軍に提案した降伏条件

 第1条 モンテーニュ将軍は11月 日、そこに戦闘用物資及び砲兵とともに、現状のままヴルムザー伯に対してマンハイム要塞を明け渡す。
 回答 要塞は11月23日に明け渡されるものとする。
 第2条 フランス兵は、ライン左岸への渡河の手段が整うや否や、武器と装備とともにマンハイムを出る。いかなる場合でも彼らは11月 日には出発し、両司令官で合意した経路をとる。
 回答 フランス軍守備隊は戦時捕虜となる。彼らは名誉ある降伏によって11月23日にその地を出て、朝9時に武器を斜堤に置くものとする。彼らは伯爵ヴルムザー将軍の示す経路をとる。
 第3条 ヴルムザー伯の指揮下にある皇帝陛下の兵は、両司令官が署名した降伏文書交換の2時間後にネッカーの橋頭堡、前哨基地、ハイデルベルク門、及びエクルーズ門の前にあるライン堡塁を占拠する。彼らはフランス兵の最後の師団が出るまで町には入らないものとする。
 回答 降伏文書署名後、オーストリア兵は翌11月22日朝8時にハイデルベルク門の外郭施設とライン門を占拠する。
 第4条 共和国、あるいはマンハイム守備隊を構成する部隊及び個人に所属する資産の運搬に必要な車両は、フランス兵が通過する途上、ヴルムザー伯の命令に従い、合意に伴い彼らの支払いによって提供される。
 回答 フランス士官に所属する資産と財産の運搬に必要な車両は、その地における通常の価格でフランス兵に提供される。国家に所属するものは何であれオーストリア軍兵站係に明け渡される。
 第5条 ヴルムザー伯はフランス兵が通過する場所に、マンハイムでは守備隊が提供できなかった必要な秣を提供するよう命令を出す。またフランス兵のため、彼らがその地を出発する日から計算して4日分の食料についても同様にする。
 回答 兵たちにパンを提供するための対応は行う。馬匹を保持し続けたいと望む士官は、現状の価格で担当者が提供する秣を購入する。
 第6条 マンハイムの病院に残る病人は、完全な撤収までそこに残るフランス軍の医療士官に治療を受ける。フランス兵が確保する最も近い町まで必要な車両については彼らに提供する。モンテーニュ将軍は彼らの回復に必要なあらゆる支援が提供されるよう、ヴルムザー伯の思いやりに期待する。
 回答 こうした場合に決して拒絶されることかないよう、病人は思いやりをもって扱われる。しかし彼らに付き添うのはオーストリアの軍医である。回復の後、彼らは他の兵と同様に捕虜としてとどまる。
 第7条 フランス軍の工兵士官は、図面、地図、そしてマンハイム入城後にフランス工兵が受け取った物資を、オーストリア軍の士官に渡す。
 回答 この条項はオーストリア兵が上記2ヶ所の門を占拠するや否や発効する。あらゆる軍事物資、たとえば大砲、弾薬、図面、地図その他が明け渡されるものと理解しており、そのためにオーストリア軍の工兵士官と砲兵士官が11月22日8時に町に送られる。
 第8条 マンハイムの摂政、執政官、及び住民は、以前のフランス軍に対する町の降伏に関してどのような方法であっても法的対応は採られない。
 回答 この条項は完全に皇帝陛下の一存による。
 第9条 マンハイムから守備隊が出る日が定められる時には、フランス軍の幕僚士官が同行するオーストリア軍の幕僚士官が兵に先行し、彼らの行軍に必要な命令を出し、共和国兵によって占拠された領地に到着するまでの宿営地を提供する。
 回答 第2条で回答済み。
 第10条 両司令官が降伏文書に署名するや否や、ヴルムザー伯はこの降伏に関する記録をピシュグリュ将軍の下へ運ぶことができるよう、フランス軍の士官にパスポートを発給する。
 回答 モンテーニュ将軍の報告はピシュグリュ将軍へ送られるものとする。

 署名 モンテーニュ
 マンハイム、1795年11月21日

google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p55-57


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