クロファードの報告
1795年11月9日



 ベフトハイムのクレアファイト元帥の司令部、1795年11月9日

 閣下、
 ナウエンドルフ将軍が指揮するクレアファイト元帥の軍の前衛部隊が今月3日、アルツァイとキルクハイム間で敵に対して優勢を得、そして4日に元帥が4日にマインツ前面の宿営地から行軍し、ヴォルムスから約8英マイルあるこの場へ5日に到着したことを、謹んでお知らせします。
 同日、ヴァルテンスレーベン将軍は大量の部隊とともにアルツァイ近辺に宿営しました。彼は2つの前衛部隊に守られており、ホーエンローエ公麾下にある1つはビンゲンに、ナウエンドルフ将軍が指揮しているもう1つはクロイツナッハを占拠してキルクハイムにある敵の拠点をカバーしていました。クライ将軍が指揮する主力部隊の前衛はプフリム川沿いのプフェダースハイムに宿営し、前哨線をライン河からナウエンドルフ将軍の前哨線まで延ばしています。
 今月6日、ナウエンドルフ将軍はクロイツナッハからカイザースラウテルンをつなぐ主要街道を奪うため、兵の一部とともに行軍しました。彼はロッケンハウゼンで敵を攻撃し、敵はその地にあった極めて強力な塹壕つきの陣地から撃退された後で、ファルケンシュタインを放棄し、大いに混乱しながらヴィンヴァイラーの背後へ退却しました。
 この際のオーストリア軍の損害は大きなものではありませんでした。敵は約200人の捕虜を取られ、約300人の死者を戦場に残しました。
 敬具
 C・クロファード

google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p50


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