クロファードの報告
1795年11月3日



 マインツのクレアファイト元帥の軍司令部、1795年11月3日

 閣下、
 クレアファイト元帥の前衛部隊は29日の輝かしい勝利の後、多大な活力をもって追撃を行い、前回の報告で述べた大砲106門に加えて43門を奪ったことを謹んでお知らせします。彼らは爆破された大量の弾薬車、一部は破壊され一部はまだ使えるあらゆる種類の装備が取り残されているのを発見しました。彼らが行軍したどの方角にも、最もあわただしく混乱した敗走の明白な痕跡が見られました。シャール将軍の散り散りになった軍はモーゼルへ向かいました。
 クレアファイト元帥はビンゲンとクロイツナッハを占拠し、ジュールダンとピシュグリュ将軍の間の直接の連絡全てを絶つためナーエ川背後の各地に部隊を配置しました。彼はまたアルツァイに部隊を配置し、その前哨線はヴォルムス付近まで広げています。彼の兵の一部はラーンから戻り、主力軍はいまや集結し、ゼルツ川の背後マインツ正面に宿営しました。
 10月30日、オーストリアのボロス将軍はノイヴィート近くのラインにある島ニーダー=ヴェルトを占拠していた部隊を奇襲し700人の歩兵を捕虜としました。31日に敵は、オーストリア軍が強襲の準備をしているのに気づいてその地の橋を守るために設置した強力な防御陣地を撤収しました。
 ジュールダン将軍の兵が退却時に行った暴力と残虐行為についての新たな事例が日々我々の知るところとなっています。多くの地で住民たちは絶望に突き動かされ、鋤や鎌、その他彼らが調達できる武器を手に敵に襲い掛かっています。

google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p49


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