クロファードの報告
1795年10月18日



 ヴァイルミュンスターの司令部、10月18日

 閣下、
 今月13日以来、ボロス、クライ、及びハディック将軍麾下にあるオーストリア軍前衛部隊が、ヴァイルブルクとナッサウ間にあるラーンを横切る全ての道を通って敵を常に追撃していることを、謹んで閣下にお知らせします。予備とともにいるヴァルネック[ママ]将軍は、状況に応じて前衛部隊を右側あるいは左側で支援できるよう中央地点であるリンブルクへと行軍し、一方で主力部隊はウフィンゲンとヴァイルブルク間のヴァイルミュンスターの宿営地へ前進し、もし敵がその川の地点を維持しようと試みるなら、いつでもヴァイルブルクでラーンを渡河できるようにするつもりです。
 [クレアファイト]元帥は敵軍を苦しめるよう最良の計算に基づいてあらゆる手を打っていますが、彼らの退却があまりに速く、彼らが行軍している地域が森と深い峡谷によって極端に分断されているため、彼らの異なる縦隊の後衛部隊における最良の兵をいくつかの戦闘に巻き込むことしかできません。これらの戦闘においてオーストリア軍はいくつかの大砲、数多くの弾薬車両、そして1000人から2000人の捕虜を得、加えてかなりの死傷数を与えました。
 敵は本日、エーレンブライトシュタインの攻囲を解くと期待され、また軍の主力とともにノイヴィート(彼らはそこに橋を持っています)でラインをできるだけ迅速に渡ることを決断したように見えます。彼らの左翼縦隊はケルンへ向かって行軍しています。
 予備に支援されたオーストリア軍の前衛部隊は、なお追撃中です。
 敵は持ち去る時間がなかった大量の火薬と他の物資を破壊しました。
 敬具、
 C・クロファード

google book "A collection of state papers, Vol. III. Part II." London Gazette p44-45


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