1815年6月18日昼
ロッソンム





プロイセン軍の攻撃


「そして彼[ナポレオン]の遥か右側、5マイル遠方の森の縁に彼は大勢の兵を見た。彼の幕僚たちは皆望遠鏡をそこへ向けた。一部の者はそれをただの木立か雲の影だと思った。何人かはプロイセン軍の制服を見分けたと言い、他の者はフランス軍だと指摘した。議論は長続きしなかった。捕虜になった騎兵士官が連れてこられたからだ。彼はプロイセン人であり、あの軍勢はブリュッヒャー元帥率いる軍の前衛部隊で、ウェリントンと合流する途中だと述べた」
David Howarth "Waterloo: A Near Run Thing" p61


 ワーテルローの戦いほど細かく分析されてきたものは、戦史上でも珍しいかもしれない。実際、様々な研究者がよってたかって戦いの細部を調べたため、中にはとんでもなく些細なことまでツッコミが行われている事例もある。ここではその一例を紹介しよう。
 上に述べたのは午後1時頃(正午頃との説も)、ナポレオンの司令部で起きた出来事である。ナポレオンはフランス軍主力が布陣しているラ=ベル=アリアンスから1.5キロメートルほど後方にあるロッソンムの小高い場所に腰を据え、イギリス連合軍左翼に対する本格的攻撃の準備を進めているところだった。戦場全体を見渡し、さらに自軍右翼方面を見た彼が、初めてプロイセン軍の接近に気づいた場面だ。
 このプロイセン軍の接近が後の戦闘に大きな影響を及ぼす。ナポレオンは多くの予備部隊を接近してくるこの敵に振り向けざるを得なくなり、イギリス連合軍に対する攻撃がそれだけ中途半端なものになった。その意味で極めて重要な場面なのだが、ここで問題にするのはもっと瑣末な話だ。

 まずChandlerとEsposito & Eltingがこの場面についてどう述べているかを確認しよう。

「今やデルロン軍団は前進の準備を整えた――だが午後1時少し過ぎ、ナポレオンは同時にシャペル=サン=ランベール方面の木々の間で何かが動いていることに気づいた」
Chandler "Campaigns" p1073

「しかし、攻撃を始める前に、ナポレオンの周辺にいた帝国軍幕僚たちは彼が北東の地平線を心配そうに調べていることに気づいた。シャペル=サン=ランベール方面の木々の間に何かの動きが見られた」
Chandler "Waterloo: The Hundred Days" p139

「ネイが命令を求めたのと同じ時、ナポレオンの注意はサン=ランベール周辺の稜線に現れた奇妙な変化にひきつけられた――まるで多くの兵が集結しているかのようにその地域全体が暗くなったのだ。幕僚の一部はそれを単なる雲の影だとして退けたが、確認のために騎兵が送り出された。もしサン=ランベールに兵がいるのなら、それは敵以外にあり得ない」
Esposito & Elting "Atlas" map165


 いずれもナポレオンが発見した敵のいた場所として、ロッソンムから8キロメートルほど北東にあるシャペル=サン=ランベール(Chapelle-Saint-Lambert)村の名をあげている。シャペル=サン=ランベールはワーテルローの戦場と前日にプロイセン軍が集結していたワーヴルの間に存在する村であり、この方面からプロイセン軍がやって来るのは当然ではあった。
 シャペル=サン=ランベールの名を出している本は他にもたくさんある。

「全ては満足に進んでいるようだったが、彼[ナポレオン]が東方約8キロメートルの場所にあるいくつかの丘に望遠鏡を振り向けた時に状況は変わった。そのシャペル=サン=ランベール近辺にある一つの丘の斜面が暗くなっていることに彼は気づいた。経験を積んだ兵士である彼は、それが軍勢の存在を示すものであることを知っていた」
Albert A. Nofi "The Waterloo Campaign" p200

「その間、ちょうど午後1時前、ナポレオンが主攻撃を仕掛けるための準備としてラ=ベル=アリアンスにいる砲兵隊に続けざまの砲撃を命じようとした時、北東ワーヴル方面に8キロメートルほど離れたシャペル=サン=ランベール村の付近に多くの軍勢が集結しつつあるように見える予想外の動きが現れた」
Alan Schom "One Hundred Days" p281

「午後1時前、ナポレオンの幕僚が戦場の遥か右側面でシャペル=サン=ランベール付近の森から暗い服をまとった兵たちが姿を現すような動きに気づいた」
Andrew Roberts "Napoleon & Wellington" p174

「ナポレオンがサン=ランベールのプロイセン軍に気づく」
Peter Hofschröer "1815 The Waterloo Campaign : The German Victory" p78


 最近の著者たちだけではない。19世紀や20世紀初頭にワーテルローに関する本を書いた研究者も、その多くはシャペル=サン=ランベールの名を記している。

「ナポレオンはすぐに戦場全体を眺め、そして可能ならグルーシーか敵の接近の予兆を見つけだすべく右翼側の観測を続けた。そしてサン=ランベール方面に軍勢のように見える不明瞭な何かに気づいた。彼はその時近くにいたスールトにそれを指し示し、彼の意見を聞いた。元帥はそれを見て、それが行軍中の軍隊であり、グルーシーが派遣したものであると信じるに足る理由があると述べた」
William Siborne "History of the Waterloo Campaign" p243

「しかしそれ[イギリス連合軍への攻撃]を始めるより前に、サン=ランベールの丘に軍勢がいるのが見つかった。兵力と国籍は不明だが、グルーシーの軍勢の一部かプロイセン軍の分遣隊以外にはありえなかった」
Charles Chesney "Waterloo Lectures" p172-173

「デルロンが動き出す少し前、ナポレオンは遥か右側にあるサン=ランベールの丘の上に軍勢を見つけた。すぐにそれがプロイセン軍であることが確認された」
John Codman Ropes "The Campaign of Waterloo" p307

「この大攻撃が始められ戦場が硝煙に覆われる前に、皇帝は周囲を見渡し、遥か北東方向でシャペル=サン=ランベールの森から真っ黒な雲のようなものが湧き出してくるのを見た。帝国軍司令部の士官たちはこの突然姿を現したものの正体について互いに異なる意見を持った。しかし、その兵力と国籍は依然不明のままだったが、それが軍勢であることはすぐに明白になった」
Archibald Frank Becke "Napoleon and Waterloo" p191


 多くの研究者が揃ってナポレオンが見た軍勢はシャペル=サン=ランベールにいたと述べているのは、彼がその時、別働隊を率いてプロイセン軍を追っていたグルーシー元帥に宛てて出した命令書にそう書かれているのが理由だ。6月18日午後1時に出された命令書には、追伸として以下のような文章が記されている。

P. S. Une lettre qui vient d'être interceptée porte que le général Bülow doit attaquer notre flanc. Nous croyons apercevoir ce corps sur les hauteurs de Saint-Lambert; ainsi, ne perdez pas un instant pour vous rapprocher de nous et nous joindre, et pour écraser Bülow, que vous prendrez en flagrant délit.
(追伸 ちょうど取り押さえたばかりの敵の手紙によるとビューロー将軍が我々の側面を攻撃しようとしているようだ。我々は既にこの部隊がサン=ランベールの丘にいるのを目撃したと信じている。従って、すぐに我々に向かって移動し、戦闘中のビューローを捕捉して我々と伴にこれを一掃せよ)
John Codman Ropes "The Campaign of Waterloo" p389


 ナポレオンの司令部自身、プロイセン軍がシャペル=サン=ランベールにいるのを目撃したと信じていたのは間違いないだろう。だが、本当にナポレオンがシャペル=サン=ランベールのプロイセン軍を見たのかどうかについては、実は異論がある。

「午後1時頃、東方の丘を望遠鏡で観察していたナポレオンは何かが動いているのを見つけた。多くの幕僚たちが問題の場所に望遠鏡を向けた。大半の記録では彼がシャペル=サン=ランベールのプロイセン軍を見たと主張しているが、彼がロッソンムの丘から見ていたことを考えるのならそれは疑わしい。皇帝が見たのはおそらくシャペル=サン=ロベールの開けた小さな場所を移動中だった第4軍団[ビューロー麾下]の一部だろう」
Mark Adkin "The Waterloo Companion" p380


 ナポレオンが見たのはシャペル=サン=ランベールにいたプロイセン軍の前衛部隊ではない。それよりさらに2キロメートルほど遠方にあったシャペル=サン=ロベール(Chapelle-Saint-Robert)を通過中だったプロイセン軍の後続部隊だったというのだ。別の研究者は次のように記している。

「実際のところ、シャペル=サン=ランベールはロッソンムから見るには低すぎる場所にある。ナポレオンの鷹のような目は、十分に高い場所にあって間にある地形に邪魔されずに見ることができるシャペル=サン=ロベールの軍勢を見つけたのだ。彼は前進するビューロー軍団の後続部隊を見ていた。先頭部隊は気づかれないまま既にその場所を通り過ぎていた」
Andrew Uffindell and Michael Corum "On the Fields of Glory" p206


 ビューロー軍団のうち前衛を構成していた第15、第16旅団は、ロッソンムから見えるシャペル=サン=ロベールをフランス側に気づかれないまま通過し、ナポレオンが北東方向を望遠鏡で観察していた時間帯には既にシャペル=サン=ランベールまでやって来ていた。一方、後続の第13、第14旅団はちょうどこの時、シャペル=サン=ランベールへ向かうべくシャペル=サン=ロベールを通過中だった。
 前衛部隊を見逃してしまったフランス軍だったが、彼らの勘違いが逆に正確な情勢判断につながった。ナポレオンは自分が見た軍勢はシャペル=サン=ロベールではなくシャペル=サン=ランベールにいると思ってしまったのだ。そしてこの時、プロイセン軍の前衛部隊は実際にシャペル=サン=ランベールまで到達していた。結果としてフランス軍司令部がグルーシーに出した命令には、プロイセン軍の正しい位置が記されることになった。

――大陸軍 その虚像と実像――