1802年以後



 平和をもたらしたボナパルトはやがて終身執政となり、さらには皇帝の地位に上り詰める。フランスは帝政の下で再び戦乱の時代に突入する。ナポレオンの野望はフランスを超え、全欧州を巻き込んだ。今やヨーロッパ中の国々が革命フランスと同様にその国民を動員し、彼らの愛国心に訴え、数の力で戦場を支配しようとしていた。

 国王が自らの軍隊で私益のために戦争をする時代は終わった。今や戦争は国民のものだった。オーストリアでは皇族の一人であるカール大公が戦場で「祖国のために」と叫び、プロイセンでは改革派と呼ばれる政治家や軍人たちが大量の兵隊を動員する仕組みを作り上げた。欧州中央部では異なる国々に所属する人々が「ドイツ」という概念を唱え始め、アルプスの南では「イタリア」が単なる地理的名称からより高い価値を持つものへと変貌を遂げていた。

 19世紀を通じ、欧州の歴史は「国民」という概念を中心に展開した。それは欧州以外にも広まり、やがて世界中を覆った。国民こそが至高の価値と信じる人々が世界中に溢れた。20世紀、フランス革命によって力を与えられた「ナショナリズム」という名の化け物は、世界を蹂躙し、2度に渡る世界大戦を引き起こした。


・1802年以後/年表

1802年3月25日アミアン条約、フランス革命戦争終結
1802年8月4日ボナパルト終身執政に
1803年5月20日英仏間で宣戦布告、ナポレオン戦争開始
1804年1月1日サン=ドマング独立、国名はハイチ
1804年5月18日ナポレオン皇帝に
1805年12月2日アウステルリッツ三帝会戦
1806年7月12日ライン同盟成立、神聖ローマ帝国消滅
1806年11月26日ベルリン勅令(大陸封鎖令)
1807年7月7日ティルジット条約
1808年5月2日マドリッドで反フランス暴動
1810年4月2日ナポレオンとマリー=ルイーズの結婚
1812年6月24日ロシア遠征
1813年10月18日ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)
1814年4月6日ナポレオン退位
1815年3月1日ナポレオンがエルバ島脱出しフランスへ
1815年6月18日ワーテルローの戦い、ナポレオン戦争終結



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