・共和国
ナポリではフランス軍の前進を妨げるのは補給不足と山賊だけだった。ガエタの要塞(守備隊3000人、3600人の説もある)は1月5日(1798年12月30日の説もある)にフランス軍に降伏。カプアは持ちこたえていたが、パニックに陥ったナポリの権力者たちは1月10日に休戦を申し出た。彼らはフランス軍がナポリを占領しないよう求め、代わりに国境の町を譲り賠償金支払いを約束した。15日、フランス軍の代表が最初の賠償を要求にナポリへ来た際に暴動が起こり、ナポリの共和主義者は秩序回復のためシャンピオネを呼んだ。マックもまた身の安全を確保するためフランスの保護下に入った。ケレルマン(息子)とデュエーム率いるフランス軍は20日からナポリへ前進。まだ残っていたナポリ正規軍(大半はスイス人とアルバニア人部隊)と志願兵が抵抗をしたが、23日にはシャンピオネはナポリを支配下に置いた。フランス軍は2万人を捕虜とした。