1799年―植民地戦争



・西インド諸島

 この年はイギリス軍がオランダ領ギアナを占領した。

・インド

 2月11日、ハリス将軍率いるイギリス軍3万7000人はマイソールの国境を越え、マドラスから前進を始めた。その中にはアーサー・ウェレズリー大佐率いるハイデラバード兵1万6000人も加わっていた。同時にステュアート将軍のイギリス軍6000人もボンベイからマイソールへ南下した。

 ティプーはフランス軍によって訓練を受けた5万人の兵を保有しており、内線の利を活用して3月6日にペリアパタムでステュアートの部隊を奇襲し、イギリス軍を戦術的撤退に追い込んだ。続いて彼はマドラスからやってきた部隊に対応するため兵を東へ振り向けた。3月22日、マラヴェリーでティプーはイギリス軍に敗北し、強力な要塞であるセリンガパタムへと退却した。

 彼は、イギリス軍の包囲作戦は熱帯の気候と長い補給線のため失敗する、と期待していた。さらに要塞への接近路は幅300メートルの川によってカバーされていた。ハリスは補給状態が危機的になるまで待ち、5月4日に川を効率よく渡って強襲で街を落とした。ティプーは強襲の前に捕虜を全員虐殺しており、復讐に燃えるイギリス兵によって彼の部隊の数千人が殺された。ティプーも殺された。夜までにセリンガパタムは落ち、マイソールはイギリスの東インド会社とハイデラバードによって分割された。


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