1792年―イタリア戦線



(ナポレオンによる1792―95年のイタリア戦役に関する解説はこちら


・ニース占領

 春の時点でこの地域にいた戦力はモンテスキュー将軍率いる5万人だった。しかし、この地域で実際に軍が動き出したのは秋からだった。

 モンテスキュー将軍は9月20−21日の夜にカサビアンカ師団をサヴォワ国境を越えてチェニス山へ、ラロッシュを海岸沿いにニースへと送り出した。ラザリー将軍麾下のピエモンテ軍(8000−1万人)は約3倍の敵を相手に後退。23日(24日の説もある)にはモンテスキューはサヴォワのシャンベリーに司令部を移した。28日にはトゥーロンから出港したトゥリュージュ提督のフランス艦隊がラロッシュを支援するためニースに8000人の兵を上陸させた。ニースの守備隊8000人はトリノを守るため街から山岳部へ退却。29日にアンセルム麾下の部隊がニース市とニース伯領を占領した。フランス軍はモンタルボンとヴィユフランシュまで前進した。トゥリュージュ提督はさらにトゥーロン艦隊をジェノヴァ共和国へ向け、フランスとの同盟を強要。12月17日にはナポリに姿を現してフランス共和国大使を承認するよう国王に求めた。

 この間、ジェノヴァと講和を結ぶ際に派遣議員の疑惑を買ったモンテスキュー将軍は11月13日に亡命を強いられた。12月になってアルプス方面軍の指揮官にケレルマンが就任した。また、イタリア方面軍の指揮官もアンセルムからブリュネに代わった。


――1792年に戻る――

――ホーム戻る――