1791年以前



 18世紀を通じて欧州に広まった啓蒙主義思想は、やがて身分制を揺るがす思想として強い影響力を及ぼし始める。1770年代のイギリス北米植民地で起きた独立への動きは、やがて新大陸から欧州へと波及し、各地で旧制度(アンシャン・レジーム)に対する反発が広がっていく。1780年代後半にはフランスだけでなく、ベルギー(当時はハプスブルク領ネーデルランド)やオランダで革命の火の手が上がった。

 一方、戦場においても変化が現れる。「理性の時代」と呼ばれた18世紀の戦争は、少数ながらプロフェッショナルとして訓練を受けていた国王の常備軍同士による戦いが中心。だが、アメリカ独立戦争の頃から志願兵で成り立つ「民兵」部隊が次第に大きな意味を占めるようになり、正規軍同士の秩序だった戦い方が次第に革命の熱狂へと舞台を譲っていく。

 それでも人口の少ない北米植民地での戦争は政治家や軍人の思惑を超えることは少なかった。だが、はるかに人口密度の高い欧州で、しかも当時ヨーロッパ最大級の人口を抱えていたフランスが主役となった戦争は、ある巨大な化け物を歴史の表舞台に引きずり出すきっかけとなった。その化け物の名は「ナショナリズム」という。


・1791年以前/年表

1775年4月18日アメリカ独立戦争始まる
1776年7月4日アメリカ独立宣言
1783年9月3日ヴェルサイユ条約調印、アメリカ独立戦争終結
1786年9月22日オランダの愛国派が総督を罷免
1787年2月22日フランスで名士会開催。新税に対して反対の姿勢を示す
1787年8月17日ロシアとオーストリアがトルコと戦争開始
1787年9月プロイセン軍がオランダ愛国派の志願兵部隊を撃破、オランダの革命騒ぎを鎮圧
1789年5月5日フランス三部会開会式を国王ルイ16世が主催
1789年6月20日球戯場の誓い「憲法が制定されるまで議会は解散しない」
1789年7月14日バスチーユ襲撃
1789年8月26日フランス人権宣言採択
1790年1月11日ブリュッセルでベルギー合州国宣言
1790年11月22日ベルギー革命派内の対立を利用してオーストリア軍がベルギー再占領
1791年6月13日フランスで国民志願兵の創設
1791年6月20日ヴァレンヌ逃亡事件
1791年8月5日シストヴァの講和、オーストリアとトルコの戦争終了
1791年8月27日ピルニッツ宣言、プロイセンとオーストリア君主による反革命干渉
1791年10月20日ブリソーが議会で列強に対する戦争を主張
1791年12月14日フランスで北方軍、中央軍、ライン軍の編成



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