筆者:山本 和幸
掲載:『Free Fan』No.30、2000年9月
 
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過剰な大衆化とメディア

 書く人間がいないということで、憎まれ役を引き受けることになった。私はこの3年、まともに外の岩場に行ったことがない。わざわざ出かけていって、人が一杯で順番待ちやらなにやらがあるくらいならジムで十分ということで、出かける気がしない(他にも事情があるのだが)。個人的には、日本のフリー・クライミングの未来は人工壁にしかない、などと考えているくらいだ。そんなわけで、最近の外の岩場の状況がよく分からないところがあるのだが仕方がない。例によって昔話から始める。

清掃するクライマー (photo: Matsuoka)

 現在、岩場に限らず「アウトドア」での排泄物の処理が問題化している。山小屋などの処理施設の整備、そして持ち帰りの問題が取り上げられてきている。私のように昔のことしか知らない人間には、そこまでしないといけない状況になってきたということが、いまひとつピンとこない。
 もう10年近く前につぶれてしまったが、学生時代に私の所属していたサークルの夏合宿は谷川岳の沢登りだった。毎年、同じ所にベースを置いたが、場所は指定地でも何でもなく厳密に言えば幕営禁止。ただ戦後間もないころからの地元とのつきあいで、黙認されている状態だった。そこではOBも含めれば、1週間から10日の間にのべ100人からの人間が排泄することになるわけだが、処理は「キジ場」と称して穴を掘っておいてその中に行った。合宿終了時にそれを埋め戻し、毎年同じ場所を掘り返して使用するならわしだった。
 その経験からいえば、埋めて1年を経過すれば、排泄物はトイレットペーパー(ティッシュペーパーではない)も含めてほとんど完全に分解し、周囲の土と区別がつかない状態になる。このベース地は1年の1/3近くは雪の下に埋もれるところだ。そうしたところでも、適切に埋設すれば排泄物の分解は充分に行われるのである。また、かつて瑞牆山の山頂周辺で活動していた時期も、必要に迫られたときは場所を決めて用を足していたのだが、ほぼ1年を経れば事実上自然に還っていたものだ。
 確かに、尾瀬に代表されるような(高層)湿原や日本アルプスの中腹以上など亜高山帯以上の場所は生態系が脆弱で、持ち帰りなどの処置が必要だというのはよくわかる。だが、通常フリー・クライミングの対象となる岩場が存在するのは、おおむね標高1000m未満(関東以西では)のところ――里山かその延長のような場所である。こうした所は、もともと地元の人々が頻繁に入山していた所だ。当然、欲求に従って山中で用を足すこともあったろう。またそこに生息する野生生物は当然排泄物を垂れ流している。西丹沢の沢の源頭など、鹿の糞が層を成しているところさえある。それを思えば、しかるべき処理をしている限り、やむを得ず用を足すことが多少あっても許されるはずだし、許されてきたのではないか。無論かつての日原御前岩のように、民家の水源地であるといったケースは別だが。
 それでもなお、現状が排泄物の持ち帰りを強いられるまでのものであるとすれば、
1.適切な処理を行わないまま排泄物が放置されている。
2.適切な処理を行ってもなお問題になるほど、オーバーユースの状態にある。
ということである。
 いずれにせよ(あるいは、もっと別のファクターが絡んでいるにせよ)、おおむね1990年以降の似非アウトドア・ブームの延長のなかに、自然壁でのクライミングのそれなりの隆盛も位置づけられることを考えると、状況は想像にかたくない。結局アウトドアだなんだといっても、それは囲い込まれた自然の中の活動にすぎない。整備されたキャンプ場に、都会の生活と大差ないものを持ち込むことが、近年いうところのアウトドア・ライフである。そうした経験しかない輩が、何もない場所でまともに糞便の始末などできるはずもない。
 また、最近の中高年ハイカーの「百名山詣で」と大差ない精神性で、雑誌に紹介されたから行かなくちゃ、来た以上は三つ星のツエルブ登らなきゃと、一部エリア/ルートに人が集中しオーバーユースとなる。そうなれば早く取り付きたいから、ろくに「朝のお仕事」も済ませずに駆けつけて、途中で催す羽目になる。そんなところであろう。

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