プッシュプルにおける3次歪みの打ち消し

(MJ 1994.11 所収)



 プッシュプルでは,バランスを正確にとることによって,2次歪みを完全に消去でき,4次以上の偶数次の歪みも打ち消されます.全高調波歪み率としては,シングルよりはるかに低歪みとなるわけですが,3次歪みとなると話は別です.シングルと比較して3次歪みはむしろ増加し*1,深いバイアスで用いると,5次以上の歪みも無視できなくなってしまうのです.したがって,本当に低歪みのアンプを作るためには3次歪みの打ち消しが必要なのです.

 ところで,規格表を見てみますと,たとえプッシュプルでも最大出力時に3〜5%程度の歪みがあります.ところが,現実には無帰還時の歪み率がこれよりずっと低い製作例が発表されているのに気がつきました.これは知らず知らずのうちに歪み打ち消しが行われているのではないか,というわけで,特に低歪みの製作例について,パソコンを駆使して検討してみることにします.

武末アンプの秘密


 無帰還でも歪みの少ないアンプの代表例として,武末数馬氏による入力トランス付き完全プッシュプルアンプ*2を検討してみます.武末氏は,全段をプッシュプル構成とし,プッシュプルのバランスを入念に取ることによって,歪みが低くなったと説明されています.しかし,プッシュプルで発生する歪みは3次歪みであり,いくらバランスを取ってもなくなることはありません.

 これは明らかに前段と出力段との間で,3次歪みの打ち消しが行われているとにらみました.武末アンプは図1のような構成で,ドライブ段が差動増幅ではありません.従って,ドライブ段で発生した2次歪みはそのまま出力段に加えられます.プッシュプル出力段では,波形の合成によって2次歪みが打ち消され,逆に3次歪みは増加するわけですが,入力信号に2次歪みが多く含まれていると,やはり3次歪みが増えます.ところが,3極管プッシュプルではもともと波形をとがらせる位相の3次歪みを生じるのに対し,入力に2次歪みを含む信号が加えられると,波形をつぶす位相の3次歪みを発生します.この両者が逆位相であるため,3次歪みの打ち消しが行われることがわかりました.図2は6CA7(3結)プッシュプルで,RL=5kΩ,Ebb=400V,Ip0=60mAの場合のパソコンによる計算例です.出力段のみでは,最大出力時に2%程度の3次歪みがありますが,入力に5%前後の2次歪みを加えたところで3次歪みが完全に打ち消され,それ以上になるとまた増加するという計算結果になりました.


黒川アンプが高性能な理由


 武末方式のドライブ段が歪み打ち消しによいことはわかったのですが,よく使われるムラード型や2段差動増幅などでは3次歪みの打ち消しはできないのでしょうか.

 そんなことを考えながら,黒川達夫氏の著書を見ていたら,興味深いデータにぶつかりました.6RA8PPの製作例*3で,最大出力時における前段までの歪み率が2%程度なのに対し,全体の歪みは無帰還でも1%以下とそれより低くなっているのです.これは明らかに3次ひずみの打ち消しによるものです.

 黒川氏のアンプ(図3)では,高域特性を改善するという目的で,前段の負荷抵抗を極端に低く選んでおり,この6RA8PPの場合も,5.1〜5.2kΩと異常に低いため,一見して直線性は悪いことがわかります.実はそのために,前段で大きな3次歪みを生じているのです.これに対し,普通の2段差動増幅では,歪みが少なすぎて出力段との間で歪み打ち消しが期待できません.差動増幅(ムラード型を含む)の場合,発生する3次歪みは,波形をつぶす位相にもできるので,出力段との間で歪みの打ち消しが可能になります.総合歪み率はほぼ両者の差で表せますが,図2と同じ条件での計算結果を図4に示します.


まとめ

 以上の考察から,武末方式(図1)では前段の2次歪みによって,黒川方式(図3)では前段の3次歪みによって,出力段の3次歪みを打ち消していることがわかりました.今回の計算は6CA7(3結)についてですが,3極管のプッシュプルではだいたい同じ傾向になると見てよいでしょう.今回の条件で,もし3次歪みを完全に打ち消した場合の5次歪みを計算したところ,武末方式では打ち消しが不足となり(図2),黒川方式では打ち消しが過剰になる(図4)という結果になりました.5次歪みも打ち消すことができるように,この両者の中間的な方法がないか,引き続き検討中です.

*1 MJ,1994/6,p.222.

*2 「集大成真空管アンプ」,p.120(1982)など.

*3 「ディジタル時代の真空管アンプ」,p.264(1989).