島田朋三郎

陸軍法務中将

 

略歴

明治15年徳島県出身、東京帝大法学部を卒業して陸軍法務部に奉職、各師団や軍の法務部長、高等軍法会議

の検察官等を歴任し、甘粕大尉事件、五一五事件、永田軍務局長刺殺事件などを担当。

東亜戦争当時は東部軍法務部長として奉職し、東條首相暗殺未遂事件、吉田茂を中心とする終戦工作事件など

を担当した。

 

島田陸軍法務中将

 

愛息の戦死

昭和19年3月、島田朋三郎中将の長男・義人氏は海軍の予備士官として戦闘機に搭乗、パラオ付近

において戦死された。

時を同じくして本土空襲のB−29が不時着、乗員の米兵が中将監督下の代々木陸軍刑務所に収監さ

れた。その乗員達はいづれも二十歳前後の青年で、島田中将は戦死した愛息と似た境遇の米パイロ

ットの処断に苦慮していたと伝える。この乗員達は皮肉にも、5月25日の空襲の猛火で焼死している。

 

自決

昭和20年9月4日、島田朋三郎中将は赤坂霊南坂の宿舎において、拳銃で心臓を貫き従容として

自決した。法務官の長老として陛下に対し、また国民に対して敗戦の責を負い自決の道を選んだ。

 

遺書

三十余年一誠奉公何等思い残す処なし

神仏の不滅を信じ母子夫婦親族相信じ援け仲睦まじく強く正しく生くべし

 

多磨霊園

東京都府中市

取材協力:小村大樹氏(小野田石材店勤務、多磨霊園著名人研究家)

陸軍法務中将 島田朋三郎之墓

 

世紀の自決

更新日:2007/12/15