故地探訪  横須賀

 

貝山緑地公園

神奈川県横須賀市

追濱神社跡の碑

 

  

海軍航空発祥之地

碑文

明治四十五年始めて海軍航空術研究委員会組織せられ 十月地を追濱にとし 東西二百米南北六百米の地積を劃し

其の一隅に格納庫壱棟を建設す 即ち此の地なり

十一月二日海軍大尉河野三吉カーチス式水上機を操縦して飛行す同六日海軍大尉金子養三も亦ファルマン式水上

機を操縦して飛行す 是実に帝國海軍飛行の嚆矢なり

今茲に碑を当時の格納庫の跡に建て以って記念の為すと言ふ

昭和十二年十一月三日  横須賀海軍航空隊

 

予科練誕生之地

碑文

予科練とは海軍飛行予科練習生の略称にして海軍使用年飛行兵とも別称す。

昭和五年六月一日第1期生入隊以来 昭和十四年二月第十期霞ヶ浦に移るまで、全国より選ばれたる少年此の地に

集い学び此の地を巣立ちて日夜猛訓練の中に技量を磨き、やがて日支事変勃発するや中国の空に 第二次世界大戦

においては南海の空にと唯々国の為同胞の為にと信じて各地に勇戦敢闘嚇々たる武勲を残して その大多数が大空

に散華す

我々不思議に命永らえたる生存者一同 今は亡き同窓の英霊を偲て、思い出の此の地追浜神社跡に建碑す。

即ち予科練誕生の碑也

昭和五十六年六月一日  此の地に学んだ生存者一同

 

  

海軍甲種飛行予科練習生 鎮魂之碑

碑文

昭和十二年国際関係が悪化し国防が最重要視される頃海軍では航空機の発達と共に今までの大艦巨砲主義から航空戦

へと思考を変え、航空機搭乗員養成を急務とした。

高度な飛行技術と強靭な肉体を求められる搭乗員は、心身共に優秀な青少年を求めた。ここに甲飛即ち海軍甲種飛行予

科練習生制度が誕生した。

昭和十二年九月一日全国の中等学校から厳選された二百五十名が第一期生として横須賀海軍航空隊に入隊した。以後

太平洋戦争の激化に伴い最終の第十六期生まで十三万九千七百二十名もの青少年達が、国を護るために各地の航空隊

の門をくぐった。

しかし戦局の悪化により大空の果て、海原の底に散った甲飛の御霊は、実に六千七百七十八柱にのぼる。

その中の一人は次の歌を残して散華した。

血潮もて茜と染むも悔ゆるなし 雲の墓標の空の御楯は

私達は国家危急の折、救国の大義に殉じられた多くの同窓の御霊の冥福を祈念すると共に、甲飛の歴史の伝承と我が

国の永遠の平和を念願して、ここ甲飛発祥の地横須賀に、この碑を建立する

平成九年十一月二日  甲飛生存者有志 遺族、一般賛同者有志

 

 

 

予科練

更新日:2008/08/03