浦 戸

 

略史

昭和19年11月 1日 開隊、松山海軍航空隊から甲飛14期 約1,000名転入

昭和19年11月28日 甲飛15期(三重空奈良分遣隊)転入。

昭和20年 3月 1日 呉鎮守府第21連合航空隊に転籍

             土佐湾沿岸防備隊を編制し陣地構築に従事

昭和20年 4 月1日 甲飛16期入隊

昭和20年 6月 1日 陸戦・特攻訓練に教程変更

昭和20年 7月15日 解隊

 

予科練の教育航空隊として開隊されたが、昭和20年6月に予科練教育を凍結して陸戦・特攻訓練

に教程変更。

卒業を果たせなかった全生徒は、土佐湾沿岸防備隊に転属を命じられ地上戦訓練を強いられた。

 

仁井田地区

高知県高知市

浦戸海軍航空隊跡の碑

碑文

当地は旧浦戸海軍航空隊の隊門跡である

予科練とは飛行予科練習生の略称で旧海軍航空機搭乗員である この採用制度は昭和五年に制定され

全国より選ばれた少年達はよく鉄石の訓練に耐え無敵の空威を発揮したが 連合軍沖縄に迫るや全員特

別攻撃隊となり 祖国の繁栄と同胞の安泰のにみを願いつつ肉弾となり敵艦に突入し その八割が若桜

で散華したのである 浦戸航空隊は昭和十九年十一月一日開隊されたが 昭和二十年五月に入り愈々本

土決戦必至の戦況のもと 練習生は敵を水際に撃砕すべく日夜陸戦特攻訓練に終始し 身を以って国難に

殉ぜんと決するも予期せぬ終戦となり 当隊司令堀内豊秋大佐指揮のもと整然と復員し 戦後四十年の今

日を迎えたのである

浦戸海軍航空隊は消滅したが この地こそ我が青春の一時期を鍛え励み共に死守せんと決した終生忘れ

難い心と励みのふるさとである 故に記念碑を建立し戦没者の冥福を祈り 戦争の悲惨さと平和と生命の

尊さを後世に伝えるものである

昭和六十年四月六日 海軍甲種飛行予科練習生 第十四期会、第十五期会、第十六期会建立

 

隊歌

彩雲なびく南海に 旭日燦と輝けば  正大の意気みなぎりて

太平洋に望みたつ  吾等が浦戸航空隊

 

基地遺構

 

予科練

更新日:2009/12/13