楠公精神

 

元弘元年(1331年)、楠木正成は後醍醐天皇の命を受け鎌倉倒幕の兵を挙げ、時の執権

北条氏の大軍と戦った。多くの武将も天皇を助けて北条氏を倒し武家政治を廃した。

これを「建武の中興」という。

しかし間もなく足利尊氏が背き、一度は楠木正成に敗れ九州へ敗走したが、大軍を集めて

再び京都に進攻してきた。

延元元年(1336年)、楠木正成は手勢七百余騎を率いて湊川に出陣し、数万の足利軍と

戦ったが衆寡敵せず、遂に全滅した。楠木正成は一族郎党とともに自刃して果てた。

  

楠木正成肖像画

 

楠木正成は、天皇を守護するため、勝目の無い戦いに死を覚悟して挑み、そして最期に。

「七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん」と語ったと伝えられる。

「忠君愛国」「滅私奉公」「七生報国」の精神である。

 

非理法権天

楠木正成の軍旗に記されていた文字

非道は道理に勝たず

道理は法度に勝たず

法度は権門に勝たず

権門は天子に勝たず

 

菊水

楠木正成の一族が用いていた紋所

  

 

皇居外苑

東京都千代田区

  

楠木正成銅像

 

湊川公園

兵庫県神戸市兵庫区

  

楠木正成銅像

 

観心寺

大阪府河内長野市

  

楠木正成銅像

 

靖国神社

東京都千代田区

菊水の紋が描かれた回天

 

第十二回天隊遺品

個人所蔵

湊川神社の朱印が押捺された「七生報国」の鉢巻

 

「非理法権天」の旗指物

 

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更新日:2006/05/20