秋 水

  

日本本土防衛の最も重要な課題は、重爆撃機B29との対決であったが、日本には対抗できる航空機

が無かった。その開発は早くから進められていたが、技術力の不足、資源の枯渇により順調には進ま

なかった。

昭和19年7月、ロケット戦闘機の合同研究会が行われ、海軍から軍令部・航空本部・空技廠、陸軍

から参謀本部・技術研究所・航空審査部、民間から五社が参加した。ドイツから運んだメッサーシュ

ミットMe163の資料をもとに、機体は海軍、エンジンは陸軍、製造は三菱航空機の担当で共同開

発を行い海軍では「秋水」、陸軍では「キ200型」と呼んだ。

 

    

メッサーシュミットMe163            秋水(キ100型)

 

昭和20年2月、海軍は厚木航空隊に「秋水」を配備する三一二航空隊を開隊、高度一万メートルを速度

九百キロで飛行し、三十ミリ砲二門を装備した「秋水」に対する期待は高かった。7月7日、横須賀海軍

航空隊飛行場で試験飛行が行われたが、着陸直前に事故を起し搭乗員は殉職した。結局、終戦までに7

が完成したのみで、実戦に使用されることはなかった。

 

三菱重工業

名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場史料室

愛知県小牧市

秋水 復元機

説明文

史料室に展示の秋水は神奈川県の土中から発見され、航空自衛隊岐阜基地で保管されていた

ものを譲り受け、平成13年に三菱名航で復元したものである。

 

秋水 復元機

 

秋水 復元機

 

秋水燃料地上保管瓶

耐酸性が必要なので磁器で製作された

 

秋水燃料 油送管

 

秋水KR−10ロケットエンジン燃焼室内筒 1/2模型

 

とこなめ陶の森

愛知県常滑市

秋水の燃料保管用使用されたロ号大甕

 

秋水の燃料保管用使用されたロ号大甕 導管

 

藤平陶芸

京都府京都市東山区

秋水噴射燃料製造装置

 

秋水噴射燃料製造装置

 

南牧村歴史民俗資料館

長野県南佐久郡南牧村

世界平和への礎 予科練之碑

 

国立天文台 野辺山宇宙電波研究所

長野県南佐久郡南牧村

三重海軍航空隊 野辺山派遣隊之碑

碑文

昭和十七年、三重海軍航空隊が三重県に創設され幾多の少年飛行兵を練成して戦場に送り輝かしい功績を

残したが、昭和二十年五月、太平洋戦争の激化により、わが国で初めてのロケット型戦闘機秋水の搭乗員

を養成するため、この地に野辺山派遣隊を設営し、一一九六名の海軍飛行予科練習生を派遣した。隊員た

ちは幕舎に起居しグライダーにより連日猛烈な操縦滑空訓練に励んでいたが、同年八月十五日の戦争終結

により解散された。

戦後、元隊員たちは社会人としてわが国復興の中核となって活躍し、昭和六十三年八月、史実を後世に伝

え平和を祈念するため、三重空野辺山若草会を結成し野辺山駅前に予科練之碑を建立した。戦後五十年を

機に南牧村ご当局及び関係部落各位のご厚意を得て、同隊の栄誉とその跡地を記念してこの碑を建てる。

平成元年八月 三重空野辺山若草会

 

平和公園

秋田県北秋田郡合川町

土浦海軍航空隊 秋田基地跡碑

碑文

昭和二十年夏海軍航空隊第十四期甲種飛行隊予科練習生九百名が国に殉ぜんと空中特攻の猛訓練

に励みし血と汗と涙の滲む基地跡なり

いま往時を偲び永久の平和を祈念し建立する

撰文 秋田基地隊員一同

題字 秋田県合川町長 畠山義郎

平成四年六月六日建立  

 

陸軍柏飛行場 基地遺構

千葉県柏市

隊門

 

ロケット戦闘機用燃料庫 導入口

 

ロケット戦闘機用燃料庫 ガス抜き筒

 

ロケット戦闘機用燃料庫 ガス抜き筒

 

導水用のU字溝

 

導水用のU字溝

 

導水用のU字溝

 

本土防空

更新日:2013/12/23