潜水艦部隊

情報提供:瀧奥 春人様(呉鎮守府潜水艦戦没者顕彰会)

 

概要

日本の潜水艦は米国艦隊の渡洋進攻作戦に備えて、遠洋作戦用(巡潜)、艦隊戦闘用(海大型)、局地作戦

用(海中型)の三種類の基本型に大別され、開戦前の第一線配備の潜水艦は57隻であった。

開戦後、ハワイ真珠湾攻撃で殆どの戦艦を喪失した米軍は、航空母艦を中心とする機動部隊を活動させる

側線に転換した。ミッドウエイ海戦の後はガダルカナル島を手始めに日本の島嶼基地を連鎖状に奪取して日

本本土に迫る作戦を展開した。

ガダルカナル島攻防戦においては、日本の潜水艦部隊の活躍は目覚しく、同海域から敵航空母艦を一掃す

る時期があったが、敵勢力の増強により制空・制海権は次第に敵手へ移っていった。

輸送船での物資補給が困難になるにつれ一部の新鋭潜水艦を輸送・補給に充当し、また戦闘とは関係無い

南方占領地やドイツとの連絡などに多くの潜水艦が当てられ、敵艦船への攻撃作戦が手薄になる時期が発

生した。

昭和19年に入り戦況の悪化に伴い日本は守勢を余儀なくされ、潜水艦が先回りして敵を待ち受ける作戦は

困難となり、十分な戦果を挙げることは出来なくなった。インド洋・南太平洋の通商破壊作戦に配備された潜

水艦は、優秀な戦果を挙げたが、短期間で隻数も少なく大量戦果にはつながらなかった。

敵の対潜艦艇、レーダー技術の開発と比較して、日本の逆探知装備と反撃手段の欠如は、潜水艦の行動範

囲を制限し被害の増大を招いた。

戦局の推移につれて、物資・人員輸送を主任務とする輸送潜水艦が建造され、本来の任務のほかに回天

戦にも活動した。攻撃機を積載し遠洋爆撃を可能にする特型潜水艦や、敵の対潜攻撃に対応した水中高速

艦も開発されたが、成果を挙げることなく敗戦を迎えた。

潜水艦の用法については、平時からの演練手法にとらわれて技術開発に後れをとり、戦果に比して犠牲を

大きくした。

戦時中に120隻が建造され、終戦時に現存した潜水艦は50隻。

 

喪失

潜水艦 127隻。戦死者 10,000名超。

 

 伊号第六十三潜水艦殉難者之碑

  佐世保海軍墓地

  昭和14年02月02日

  訓練中に伊60潜に衝突され沈没

 

 

 呂号第三十四潜水艦忠魂碑

  蓬光寺/愛媛県伊予市

  昭和18年11月13日

  ペナンで作戦中、米潜水艦の雷撃を受け沈没

 

 

       

 伊号第三十四潜水艦戦士慰霊碑

 (右)伊号第三十四潜水艦長鯉渕不二夫少佐墓碑

  高野山奥の院

  昭和18年11月13日

  ペナンで作戦中、英潜水艦の雷撃を受け沈没

 

 伊号第十一潜水艦之碑

  呉海軍墓地

  昭和19年01月11日

  サモア戦区の艦船攻撃に出撃後、消息不明

 

 

 伊号第百八十五潜水艦之碑

  佐世保海軍墓地

  昭和19年06月22日

  あ号作戦によりサイパンへ航行中、敵駆逐艦

  の爆雷攻撃により深海で爆発

 

 伊号二九潜戦没者慰霊碑

  呉海軍墓地

  昭和19年07月26日

  回航中に米潜水艦に雷撃され沈没

  ドイツから潜水艦、「秋水」の設計図などを搬送

 

 伊号第122潜水艦戦没者慰霊碑

  呉海軍墓地

  昭和20年04月10日

  回航中に米潜水艦に雷撃され沈没

 

 

 

潜水艦部隊

更新日:2003/08/11