第56震洋特別攻撃隊

松輪江奈

 

江奈湾

神奈川県三浦市

震洋格納壕

 

震洋の海/江奈湾

 

震洋の海/江奈湾

 

福泉寺

神奈川県三浦市

第56震洋特別攻撃隊の本部がおかれた本堂

 

第56震洋特別攻撃隊岩館部隊の碑、献木の高野槙(海軍特攻隊記念樹)

碑文

太平洋戦争の末期、物量豊かな米軍の前に 精鋭を誇った帝国海軍も幾多の艦船、航空機 を失い戦況は

本土決戦の様相となった

そのころ海軍部では米軍の本土上陸に備え 空中・水上・水中の特攻兵器を開発、生産に追われていた

その中の水上特攻兵器が「震洋」と名付けられた特攻艇で、一型艇(全長 五・一m、幅一・六五m、ガ

ソリンエンジン一基 搭乗員一名)、五型艇(全長六・五m、幅一・六八m ガソリンエンジン二基、搭乗

員二名)いずれも頭部に二五〇kgの爆薬を搭載、闇夜に乗じて敵船団に体当たり攻撃を敢行する人間爆

弾であった 搭乗員は士官五名、下士官五一 名で四個艇隊に編成された。下士官搭乗員は 土浦海軍航空

隊甲種飛行予科練習生出身、卒 業後、九州の川棚突撃隊で特攻訓練を受け、 昭和二十年六月十日(一九

四五年)本土防衛 の盾として この松輪の地に第五六震洋特別 攻撃隊岩館部隊が配置され任務についた

部隊本部が福泉寺に、下士官搭乗員は四軒の民家に分宿、特攻基地は江奈湾に置かれた江奈湾を挟んだ東

西岸壁に壕が掘られ、東側に三、四艇隊、西側に一、二艇隊の震洋艇が格納された。訓練は敵機の発見を

避け夜間に行われた 士官搭乗員五名、下士官搭乗員五一 名、基地隊・整備隊員一二七名、併せて一八一

名の部隊だったが、一人の戦死者もなく終 戦(昭和二十年八月十五日)、それぞれの故郷に生還する事が

できた

わずか二ヶ月余りの短い期間、第五六震洋 特別攻撃隊岩館部隊がこの地にあった事を、碑文として後世に

残し、終戦六十周年を機に戦争のない、世界の平和と繁栄を願うものである

平成十七年五月二十七日  千代田松輪の会 有志一同

 

震洋特攻隊

更新日:2014/09/23