富 高

 

富高海軍航空隊

昭和19年 4月 1日 築城海軍航空隊、富高分遣隊を設置

昭和19年11月  日 筑城海軍航空隊から独立、陸上練習機操縦教育を担当

昭和20年 2月  日 中練特攻隊を編成

昭和20年 3月 1日 富高分遣隊を岩国海軍航空隊へ移管

昭和20年 8月15日 終戦

 

協和病院

宮崎県日向市

神風特別攻撃隊出撃之地

碑文

この付近一帯は第二次世界大戦末期、特攻基地となった旧海軍航空隊富高飛行場の跡である。

この記念碑は、祖国の難に殉じてこの基地を飛び立ち、征いて再び還らざりし神風特別攻撃隊の

英霊、並びにこの基地の建設に従事し、不幸傷病に倒れた一般市民、動員学徒、朝鮮人、中国

人労務者の霊、及び遠くこの地異国の空に散華した米国空軍将兵の霊を弔うために建立された

ものである。

昭和三十五年秋  協和病院

 

  

            神風特別攻撃隊出撃之地                 昭和20年 3月18日 敵機動部隊、艦載機強襲による爆弾穴

 

  

滑走路跡のコンクリート

説明文

ここ病院の敷地一帯は太平洋戦争中は富高海軍航空隊基地として、特に戦争末期には第一線基地

として重要な役目を果たしていました。

この案内板の前にあるコンクリート部分は当時の滑走路の一部でありまして、戦時中そのままのもの

であります。現在の平和の前にはこのコンクリートの滑走路から特攻機が飛び立ったのであります。

恒久の平和を願うために、この滑走路を保存するものです。

 

財光寺地区

宮崎県日向市

  

掩体壕の残決                                    かつての掩体壕

 

神風特攻隊

更新日:2009/08/23