姫 路

 

略史

昭和18年10月 1日 姫路海軍航空隊開設

昭和20年 4月 6日 神風特別攻撃隊・第一護皇白鷺隊 特攻出撃(串良)

昭和20年 4月12日 神風特別攻撃隊・第二護皇白鷺隊 特攻出撃(串良)

昭和20年 4月16日 神風特別攻撃隊・第三護皇白鷺隊 特攻出撃(串良)

昭和20年 4月28日 神風特別攻撃隊・白鷺赤忠隊    特攻出撃(串良)

昭和20年 5月 4日 神風特別攻撃隊・白鷺揚武隊    特攻出撃(串良)

昭和20年 5月 5日 航空隊廃止

 

鶉野平和祈念の碑苑

兵庫県加西市

  

姫路海軍航空隊 鶉野飛行場跡の碑

碑文

美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう

 

神風特別攻撃隊白鷺隊戦死者

神風特別攻撃隊白鷺隊記

神風特別攻撃隊白鷺隊は、姫路海軍航空隊員より編成され、この地鶉野飛行場において日夜訓練を重ねた。

隊長 後藤 清大尉以下六十三名は、その保有する艦上攻撃機二十一機をもって、昭和二十年四月六日より

五回にわたり鹿児島県串良基地より出撃し、沖縄周辺の米軍艦艇に対し飛行機もろとも体当り攻撃をくわえ、

壮烈な戦死を遂げた。

戦いは遂に国土防衛戦に入り、膨大なる物量を誇る米軍の来襲に、わが沖縄守備隊の戦力では如何ともしが

たく、菊水作戦が発動され航空機による特別攻撃隊の投入となり、海空による総攻撃が開始されたのである。

姫路空白鷺隊も決然としてこれに加わった。隊員たちは出撃にさいし遥か故郷の愛する家族らに別れをつげ、

再び還ることなき特攻に若き命を捧げ、武人の努めを全とうしたのである。

今ここ鶉野の地に碑石を建立し、この史実を後世に伝え、謹んで殉国された勇士の御霊をお慰めし、併せてそ

のご加護により永遠の平和の実現を切に願うものである。

 

  

滑走路                                戦闘指揮所

 

北条鉄道 網引駅そば

兵庫県加西市

  

列車転覆事故殉難の地碑(部分)              事故現場付近

説明版

それは一九四五年(昭和二十年)三月三十一日のことだった。静かな田園地帯を揺るがす大惨事

が起こったのである。

国鉄加古川線北条支線北条駅を一五時五十分に出発した六一〇列車(天田機関士)が十六時

十二分網引駅西方三〇〇米付近に差しかかった、折りしも、川西航空機鶉野工場で完成した局地

戦闘機「紫電改」(操縦五田栄上飛曹、二十歳)が試験飛行をするために鶉野飛行場を離陸し、

飛行場周辺を飛行し南より西北に向かって着陸態勢をとり高度を下げエンジンを絞った、その時

エンジンが停止した。

法華口駅を五分遅れて出発した列車の目前を飛行機が滑るように降りてきた。そして尾輪が線路

を引っ掛けもんどり打って田地に墜落し、線路が一米ばかり北に移動して傾いた。

ここで悲劇が起こった。列車には途中に停車した駅から乗車した人々で満員であった。列車は脱

線し、蒸気機関車は百八十度転覆、客車は転覆折損し、死者十二名(乗客十一名と飛行機搭乗

員一名)重軽傷者一〇四名を出す惨事となったのである。

救助のため、軍、消防団、地元の人々が活躍した。その日、のどかな春の夜のしじまを破る槌音

が不気味な響きを帯びて鳴り続けたという。夜を徹しての復旧作業が行われたのである。

ここに加西市における戦前戦後を通じた最大の交通事故の顛末と、その惨事を後世に伝え残し、

併せて犠牲者への鎮魂の思いを込め、郷土の歴史にその事実の概要を留めんとするものである。

 

神風特攻隊

更新日:2004/09/18