天 草

 

略史

昭和20年 3月 1日 博多空の分遣隊から独立・開隊

              水上機操縦教育担当の年収航空隊として第12連合航空隊に編入

昭和20年 5月 5日 練習航空隊の指定解除、第5航空戦隊に編入、特攻発進基地となる

昭和20年 5月24日 神風特別攻撃隊・第一次十二航戦水偵隊隊 特攻出撃( 指宿)

                 操縦 二飛曹 江代  昭雄(甲飛13期)・偵察 中尉  檜和田直成(予備13期)
 
                 操縦 二飛曹 山口   昇 (甲飛13期)・偵察

昭和20年 6月21日 神風特別攻撃隊・第二次十二航戦水偵隊隊 特攻出撃( 指宿)

                 操縦 一飛曹 根上  行介 (甲飛12期)・偵察 中尉  野路井正造 (予備13期)
 
                 操縦 二飛曹 立山  敏教 (甲飛13期)・偵察 少尉  相馬    昂 (予備14期)
 
                 操縦 一飛曹 小林  清吉 (甲飛12期)・偵察 少尉  山口  輝夫 (予備 1期)
 
                 操縦 二飛曹 中島  昭二 (乙特 4期)・偵察 少尉  乙津  和市 (予備 1期)
 
                 操縦 一飛曹 内田    徹 (乙飛18期)・偵察

昭和20年 7月 三日 神風特別攻撃隊・第二次十二航戦水偵隊隊 特攻出撃( 奄美大島)

                 操縦 二飛曹 桑原   辰雄 (甲飛13期)・偵察 中尉  須藤竹次郎 (予備13期)

昭和20年 8月15日 終戦

昭和20年 8月18日 神風特別攻撃隊・第三次十二航戦水偵隊隊 特攻出撃(終戦により中止)

昭和20年 5月 5日 航空隊廃止

 

 金が丘団地

熊本県本渡市

  

天草海軍航空隊 神風特別攻撃隊慰霊の碑

碑文

第二次大戦中 この地一帯に天草海軍航空隊があった 天草海軍航空隊は水上機の練習航空隊であった

が 大戦末期戦局の逼迫とともに 第五航空艦隊第十二航空戦隊に編入され 攻撃部隊として活動すること

となった 攻撃方法は爆弾を抱いた愛機諸共敵艦に突入する体当り攻撃である このことを聞くや搭乗員一

同は 進んで攻撃隊員を志願して国に殉ぜんと誓った

三名の殉職者をだす烈しい訓練数箇月ののち 攻撃の機は熟して 昭和二十年五月下旬第一次 六月下

旬第二次攻撃隊が発進し 月明を利用して沖縄に向かい 八機十六名が敵艦に突入玉砕した 八月十八

日頃を目途とする残存全機による第三次攻撃の準備中 突如終戦となったのである

昭和四十六年 当会が結成されるや 期せずして右の十九柱の御霊を祀る慰霊碑を建立すべしとの議が

起り 地元本渡市ならびに一般有志のご協力のもとに 今日この碑の除幕を見るに至った

星霜すでに二十八年 瞑目すれば紅顔の英姿今なお眼底に鮮やかなり 在天の霊よ希わくば我等が微衷

を汲みて 水明のこの地に安らかに眠り給わんことを

昭和四十八年八月  天空会

 

  

零式水上観測機の破片と沖縄具志川湾岩礁の珊瑚

碑文

これは昭和二十年五月二十五日未明

檜和田直成大尉  江代昭雄少尉  山口 昇少尉

三柱が搭乗 沖縄具志川島の岩礁に玉砕した二機の零式水上観測機の爆裂した破片である

ここに安置して冥福を祈る

平成二年七月八日 右岩礁において収容   天空会

 

零式水上観測機

案内板

太平洋戦争中、この地一帯に天草海軍航空隊がありました。天草海軍航空隊は練習航空隊で、水上機の

操縦員を訓練養成しておりましたが、日本の敗色が濃厚となった昭和二十年三月、練習航空隊の指定を解

除され、爆弾を固縛した愛機もろとも敵艦に体当りする神風特別攻撃隊の発進基地になりました。

三名の殉職者を出す激しい特攻訓練数ヶ月ののち、昭和二十年五月下旬に第一次、六月下旬に第二次

攻撃隊が発進し、八機十六名の若人が敵艦に突入玉砕しました。

その神風特別攻撃隊員ならびに天草海軍航空隊ゆかりのある戦没殉職者の御霊を祀る慰霊碑を、ここ有

明海を見下ろす丘に建立しております。

天空会 本渡観光協会

 

神風特攻隊

更新日:2009/01/25