故地探訪 幸の浦

 

幸の浦海岸

広島県安芸郡江田島町

写真提供:高橋美樹様(海上挺身基地第14大隊 隊員ご遺族)

海上挺身戦隊 戦没者慰霊碑

顕彰之記

昭和十九年戦局の頽勢を挽回すべく、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし全軍より選抜せる

下士官、将校の精鋭を以て編成されたる陸軍海上挺身戦隊は、二五〇キロ爆雷を装備せるベニ

ヤ製モーターボートにより一艇以て一船を屠るを任務とし、此処幸ノ浦の船舶練習部隊第十教育

隊に於て昼夜分かたぬ猛訓練に励み、第一戦隊以下三十ヶ戦隊が同年九月以降続々沖縄、比

島、台湾への征途にのぼり、昭和二十年一月比島リンガエン湾の特攻を初めとし同年三月以降

の沖縄戦に至る迄壮烈鬼神をも哭く肉迫攻撃を敢行しその任務を全うせし者、或は戦局の赴く所

やむむを得ず挺身陸戦に展じ、奮戦せし者を含め戦闘参加の勇士二二八八名中、再び帰らざる

隊員実に一六三六名の多きに達し、挙げたる戦果敵艦船数十隻撃沈、誠に赫赫たるものありし

も当時は秘密部隊として全く世に発表されざるままに終れり。

而して又第二次訓練再開されるや第三十一戦隊以下十二ヶ戦隊が九州、四国、紀州の各地に

展開し米軍の本土上陸に備え、更に第四十一戦隊以下十一ヶ戦隊は終戦当時当地に在り原爆

投下直後の広島市民の救出残骸の整理に挺身活躍、同年十月艇を焼き部隊を解散せり。

此等教育期間中の殉職者も数十名に及び又各戦隊に配置されたる基地大隊も戦隊出撃後は陸

戦に展じ殆ど生還するを得ずその運命を共にせるものの如し。祖国の為とは言え春秋に富む身

を国に殉ぜし、多数の若者の運命を想う時誠に痛恨の念に絶耐えず、ここのその霊を慰め後世

に伝える為この碑を建立するものなり

 

海上挺身戦隊 戦没者慰霊碑

 

碑に供えられた大発の錨

 

陸軍海上挺身隊 第十七、十八戦隊 戦没者英霊之碑

 

陸軍海上挺身戦隊戦没隊員 精霊菩提

 

ふるさと交流館

広島県安芸郡江田島町

レ艇 模型

 

レ艇 模型

 

海上挺身戦隊

更新日:2011/01/16