目達原

 

略史

昭和18年  月 陸軍太刀洗飛行学校目達原分校として開設

昭和19年  月 特攻第二七三振武隊 出撃

 

目達原飛行場正門跡

佐賀県神埼郡三田川町

門柱

碑文

目達原飛行場は、昭和十八年陸軍太刀洗飛行学校目達原分校として開設され、以来多くの

若鷲が養成された。

昭和十九年以降、戦局の進展に伴い特攻第二七三振武隊として「若者よ後につづけ」を合い

言葉に、敢然として国に殉じ敵艦を求めて次々と飛び立った由緒ある地である。

昭和二十九年陸上自衛隊九州地区補給処がここに解説され、その後西部方面ヘリ隊、第四

飛行隊等の駐留に伴い、現在も旧滑走路の一部がヘリポートとして使用されている。

 

  

門柱                                       献歌碑

献歌

南海に 華と散りにし ますらおの 御魂とどむか 基地の夏草

櫻咲く 基地を飛び立ち 南海に 散りし若鷲 しのぶ門柱 .

 

サンメッセ鳥栖

佐賀県鳥栖市

特攻隊員が弾いたピアノ(ドイツフッペル社製)

説明板

このピアノフッペルは、昭和6年鳥栖町婦人会や橋本寛先生等有志の働きかけで集められた多額の

の財により購入され、現鳥栖小学校に寄贈されたものです。

ドイツフッペル社のグランドピアノと言えば最高級のピアノであり、当時としては相当高価なものでした。

このグランドピアノを選定してくださったのは、当時の鳥栖小学校の音楽主任教師の陶山聡先生です。

このグランドピアノが設置され、鳥栖小学校に学ぶ多くの子供たちは美しいメロディを聞き楽しい歌を歌

いつづけることができました。また、第二次世界大戦の末期には特攻兵士が訪れ、このピアノでベート

ーベンのピアノソナタ「月光」を弾き南の空へ飛びたっていったといわれています。元鳥栖小学校教師の

上野歌子先生は、このことを明らかにされピアノの保存を訴えられました。これが契機となって

このピアノと特攻兵士を主人公にした映画製作の市民運動が高まり、毛利恒之脚本、神山征二郎監督

による映画「月光の夏」が平成5年3月に完成しました。以来今日まで全国各地で放映され現在までに16

0万人以上の観客動員を記録し、また文化庁優秀映画作品賞等受賞いたしております。

私たちは、このサンメッセ鳥栖にこの由緒あるグランドピアノを甦らせ、この鳥栖の地から世界の恒久

平和の尊さを奏でつづけていくよう願っております。

 

      

      映画「月光の夏」                 絵本「ピアノは知っている 月光の夏」

 

明日出撃します。ピアノを弾かせて下さい。

 

深川善次(元佐賀大学教授)作  悲話学徒出陣(複製)

 

残されたピアノ

 

JR鳥栖駅

佐賀県鳥栖市

平和の鐘

上野歌子 詠

月光を弾きて往きたる特攻の 思い語るか古きピアノよ

 

陸軍特攻隊

更新日:2009/08/30