戦艦陸奥

 

 

艦歴

大正 7年 6月 日 八八艦隊計画の二号艦として、横須賀海軍工廠で起工

大正 9年 5日31日 進水

大正10年10月24日 竣工

昭和 2年 月  日 艦首形状変更工事

昭和 2年  月  日 海軍大演習、昭和天皇が乗艦

昭和 9年 9月 5日 二カ年計画の近代化改装工事開始

昭和11年 9月30日 改装工事完了

昭和17年 5月29日 ミッドウェー海戦に参加(交戦することなく6月6日に帰投)

昭和17年 7月  日 武蔵の完成に伴い第二戦隊に編入

              ソロモン作戦支援部隊としてトラック島に進出

昭和18年 1月  日 横須賀に帰港して修理の後、柱島泊地に回航

昭和18年 6月 8日 柱島沖で爆沈

昭和19年 7月  日 陸奥の燃料庫から重油約600トン回収

昭和19年 9月 日 除籍

昭和20年 8月15日 終戦

昭和23年  月  日 西日本海事工業が艦の搭載物資のサルベージ開始

              引揚の許可範囲を超えた「はぎとり事件」が起こり作業中断

昭和45年 7月  日 深田サルベージによりサルベージ再開

 

戦技演習中の陸奥

 

軍艦旗掲揚(昭和2年)

 

海軍大演習のため乗艦される昭和天皇(昭和2年)

 

謎の爆沈

昭和18年6月8日12:10、柱島泊地の繋留中の「陸奥」は、第三砲塔付近から突然白煙を吹き上げ

火薬庫が大爆発を起こした。艦体は切断され、その巨体は瞬時にして海中に没した。

艦内には1,474名の乗組員がいたが救助されたのは僅か353名に過ぎず、1,121名が艦と運命

を共にした。

原因調査の為に査問委員会が設置され放火とほぼ断定されたが、決手に欠ける曖昧な結論を提出

して二ヶ月後に解散。真相は究明されないまま今日に至っている。

 

二十七年後の引き揚げ

昭和45年 7月23日、陸奥の第四砲塔が27年振りに太陽の光を浴びた。遺族にとっては陸奥の

海底での歳月がそのまま自分の歴史でも有った。

砲塔に遺骨の有る可能性は低い。しかし亡き夫が、父が、そして愛し子が精魂込めて手入れした

遺品であった。今その遺品が目の前に有る。遺族の口から嗚咽が漏れた。

「長い間、ご苦労様でした」。

 

引き揚げられる第四砲塔

 

引き揚げられる第四砲塔

 

引き揚げられる主砲徹甲団

 

引揚後の第五兵員室 (写真上が艦底)

 

艦内神社

岩木山神社

.所在地  青森県弘前市                                           

創建    宝亀11年(780年)                                    

主祭神  顕国魂神、多都比姫神、大山祇神、坂上刈田麿、宇賀能賣神、大山咋神

社格    国幣小社・別表神社・津軽国一宮                        

 

岩木山

 

戦艦陸奥の艦内神社に分霊が祭られた岩木山神社

 

陸奥記念館

山口県大島郡東和町

陸奥之碑

碑文

日月 天より落ちて国敗れ 戦艦 謎を秘めて 海に没す

不可思議の 導きかなや英霊は み艦にこもり 此れに沈もる

七星報国 陸奥の碑哀し 柱の空に 北斗綺鑼めく

 

予科練甲飛11期生戦没者慰霊 若鷲の碑

碑文

予科練とは 海軍飛行予科練習生の略称なり 予科練には甲・乙・丙種とありて この碑は 海軍第十一期

飛行予科練習生 戦没者の霊を祀る

昭和十七年十月一日 全国津々浦々より厳選された若人五百八十五名は 予科練甲飛十一期生として 海

軍搭乗員揺籃の地 土浦海軍航空隊に入隊す

昭和十八年六月八日 艦隊艦務実習として土浦航空隊より派遣の同期生一同は 呉軍港より 長門 陸奥

扶桑に乗艦 早朝より艦務実習に入る

十二、十五頃 柱島沖泊地に於いて 戦艦陸奥は原因不明の爆発を起こし 一瞬のうちに霧の瀬戸内の深

海に散る 陸奥に乗艦せる同期生百三十八名中百二十四名は艦と運命を共にす その後 残る同期生一同

は 予科練卒業後 各戦闘航空隊に配属となり 南太平洋 南洋 比島 台湾 沖縄 本土防衛の航空戦並

に特攻作戦に参加 国防の第一線に身を投じ航空戦の主力として活躍 終戦までに計三百六十一名が散華

す 想えば年齢二十才に満たざりし若者達が 救国の一念より祖国の難に殉ず 茲に恒久平和と この御霊

の安らかならんことを祈念し 慰霊碑を建立す

昭和五十三年六月八日  予科練甲飛十一期会

 

陸奥爆沈の海/柱島泊地

 

副砲 50口径三年式14センチ砲とスクリュー・プロペラ

 

艦首

 

艦首錨

 

陸奥記念館 説明版

戦艦陸奥は大正6年に着工して、同10年に完成しました。昭和18年6月8日爆沈するまで、世界最高

の戦艦として連合艦隊の旗艦、お召し艦として活躍しました。

戦後、昭和24年から一部引き揚げをしましたが、40メートルを超える海底作業は困難を極め、まもなく

中止されました。

昭和45年6月、遺族や生存者らの熱意が実り、深田サルベージによって引き揚げが再開されました。

昭和53年6月までの8年間の引き揚げ作業で、将兵の遺骨や遺品と共に、主砲など艦体の75パーセ

ントが引き揚げられました。

東和町は昭和47年11月、恒久平和の殿堂として引き揚げられた遺品や艦の一部と、遺族から寄せら

れた貴重な資料を展示するため、陸奥の沈没地点を望む丘に陸奥記念館を建設しました。

 

軍艦旗

 

引き揚げられた部品の一部 舷窓

 

靖國神社

東京都千代田区

軍艦陸奥装備副砲 三年式14センチ砲

碑文

軍艦陸奥は連合艦隊司令長官古賀峯一の直率の下に瀬戸内海柱島水道に警戒碇泊昭和十八年

六月八日不慮の爆沈により艦長海軍少将三好輝彦外一千百二十一名の将兵が悲運にも艦と運命

を共にし永久の大義に殉ぜられた

軍艦陸奥引揚促進期成会は軍艦陸奥の引揚の大部を了せる此機を選び 引揚たる副砲と共に其

の銘碑に殉職者の英名を刻み 之を靖国神社に奉献し其英霊を永へに顕彰することにした

軍艦陸奥はワシントン海軍軍縮条約下最後の軍艦であり 其戦力発揮の為全海軍の叡智と心血

とを注いで完成した稀少値の芸術品であって 其乗員も亦誇りを以って二十余年に亘り祖国の護

りに精魂を傾けて献身し 名実共に天下第一艦として戦争抑止の実を発揮した栄光の軍艦である

 

船の科学館

東京都品川区

戦艦「陸奥」四番砲塔 主砲

 

聖博物館

長野県筑摩郡麻績村

戦艦「陸奥」主砲と砲弾

 

錨鎖

 

舷窓

 

愛知縣護國神社

愛知県名古屋市中区

戦艦陸奥遺材

 

難波八阪神社

大阪府大阪市浪速区

戦艦陸奥主砲抑気具記念碑

碑文

四十五口磨@三年式四十一糎砲 補用抑氣具格納筐

抑気具ヲ砲身ヨリ取外シタル時ハ必ズ函中ニ格納シ置クベシ

華氏五十度(摂氏十度)以下ノ天候ニ於テハ 抑気具ヲ大気中ニ露出スベカラズ

萬一此注意ヲ怠リタル場合ニ於テハ 発射ニ先チ約華氏百二十度(摂氏五十度)ノ温湯中ニ

於テ石綿環ヲ温ムルヲ要ス



海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ



この抑気具(砲口蓋)は沈没し海底から引揚げられた戦艦陸奥の主砲八門の内の一個で、艦と

運命を共にした艦長三好輝久大佐以下千百二十一名の将兵の魂を慰霊し 永遠の平和を祈る

ものである

 

戦艦陸奥主砲抑気具記念碑

 

高野山奥の院

和歌山県伊都郡高野町

平和祈願 戦艦陸奥殉職者英霊供養塔/台盤:四番砲砲座、柱:推進軸  

碑文

不可思議の みちびきかなや 英霊は み艦にこもり ここにしずもる

建立由来

戦艦陸奥はワシントン海軍軍縮条約下最後の戦艦であり 全海軍の叡智と国民の心血を傾注して

完成した一個の芸術品にして 乗員も亦誇りを持って二十有余年に亘り名実共に世界第一艦とし

て国の守りに任じ 戦争抑止力としての実を発揮す

然るに昭和十八年六月八日将に国家存亡の機に直面し山口県柱島水道より出撃の為 解覧の直

前にその機能を発揮し得ず悲運にも自爆し 三好艦長以下千百二十一名の将兵は艦と運命を共

にし悠久の大義に殉ぜられた

爾来二十七星霜漸く機熟し 四十二米の海底より深田サルベージ会社の犠牲的作業により引揚

げられた 其の鋼板の表面に重積した牡蠣の付着に異様な光を感じ即刻京都大覚寺門跡睨下

を迎へ法要を厳修した

(中略)

本供養塔は殉職将兵の英霊を永く顕彰し恒久平和を祈念し本艦の各部を取り纏め此の塔を製

作した 四番砲台の砲座を台盤に推進軸を柱とし 台座と柱の下部に千百二十一柱の英霊の

芳名を謹書銘記し 青銅鋳物に陽刻して艦霊と一体の大魂魄のお働きをお願いし同時に御冥福

をお祈りする(後略)

 

入船山記念館

広島県呉市

戦艦「陸奥」 スクリューのプロペラ

 

呉市海事歴史資料館

広島県呉市

戦艦「陸奥」 砲とスクリュー

 

 

海上自衛隊 第一術科学校

広島県江田島市/旧:海軍兵学校

戦艦「陸奥」 三年式40センチ連装主砲塔

経緯

爆沈後に引き揚げられたものではなく、軍縮条約の時に取り外されたものが教材として展示されている。

 

ふるさと交流館

広島県安芸郡江田島町

海底から引き揚げられた戦艦「陸奥」の遺品

 

四十糎砲火薬缶半発入

 

舷窓枠

 

大谷霊園

愛媛県今治市

戦艦「陸奥」副砲

 

大山祇神社

愛媛県越智郡大三島町

戦艦「陸奥」

 

連合艦隊    鎮魂の霊地

更新日:2011/02/13