防空駆逐艦 初月

 

 

略史

昭和17年12月15日 竣工舞鶴海軍工廠

昭和19年 6月19日 マリアナ沖海戦

昭和19年10月25日 レイテ沖海戦、沈没

 

昭和19年10月25日

14:14

航空母艦「瑞鶴」沈没。「瑞鶴」の乗員、601空・653空隊員など千数百名が洋上に漂流。

防空駆逐艦「若月」「初月」は来襲する敵攻撃機へ応戦しながら、戦闘の合間を縫って漂流者の救助に当った。

「若月」では「瑞鶴の乗員、一名たりとも残すな」との命令が下った。ロープ、縄梯子、内火艇などで必死の救助

作業が続く。

しかし洋上は暗く、漂流者の体力も限界に近づいていた。

 

18:00

「若月」「初月」とも内火艇やカッターを降ろし漂流者の救助を急いだ。

力尽きて海中に没し去る漂流者。

 

18:44

救助作業が行われている海面に、米追撃艦隊によるレーダー射撃が浴びせられた。

「若月」「初月」は内火艇やカッターを残したまま北上を開始した。

洋上に漂う「瑞鶴」乗員を収容できぬままに…。

 

19:05

「初月」より至急伝 「我、敵水上艦艇と交戦中」

 

20:20

米戦闘詳報

「我々(米駆逐艦)は短時間発砲する。敵(初月)が我々に発砲している」

 

20:31

米戦闘詳報

「魚雷命中の閃光を見た。爆発が起きた。目標(初月)は煙に巻かれている」

 

20:59

米戦闘詳報

「目標(初月)は爆発と火災を起しているにもかかわらず、まだ健在」

 

「初月」は「若月」に従って北上したが、まもなく面舵をとって東南方から迫る米艦隊の矢面に立つ。

僚艦「若月」の離脱を助けるように敢然と敵艦隊に立ち向かっていったのである。

敵艦隊は重巡二隻、軽巡二隻、駆逐艦十二隻。一対十六の夜戦であった。

 

「初月」に救助された「瑞鶴」乗員、戦闘機の搭乗員の誰もが、「初月」乗員を助けて敢闘、奮戦、

そして「初月」と運命を共にした。

 

昭和19年11月14日

台湾・台東の南東50浬に「初月」の内火艇が漂着した。

漂流すること21日、48名の漂流者のうち生存者は16名であった。

 

佐世保海軍墓地

長崎県佐世保市

    

第六十一駆逐隊 駆逐艦初月戦没者慰霊之碑

碑文

鎮魂歌

魂きはる 生命をかけて国鎮む わが初月の み霊安かれ

 

呉海軍墓地

広島県呉市

初月 石標

 

橿原神宮

奈良県橿原市

軍艦瑞鶴之碑に並んで建つ鎮魂之碑

碑文

駆逐艦 若月、初月、秋月、第六〇一海軍航空隊

瑞鶴とゆかり深き諸霊茲に鎮まる

 

靖国神社

東京都千代田区

駆逐艦初月 献納模型

 

連合艦隊    比島決戦

更新日:2008/06/22