桜 花

資料提供:湯野川守正様(海兵71期、桜花隊分隊長、「海軍神雷部隊」編集委員)

 

神雷部隊

第721海軍航空隊の別称。

新兵器「桜花」を主戦兵器として新編成された、最初の航空特攻専門部隊。

「桜花」パイロットの桜花隊、「桜花」を運搬する陸攻隊、掩護の戦闘機隊、で編成。

百里原海軍航空基地で練成、後に神ノ池海軍航空基地に移転。

 

龍巻部隊

第722海軍航空隊の別称。

神雷部隊が九州に展開した後、神ノ池に残った桜花第一分隊を基幹として新編成。

桜花搭乗員を養成し、神雷部隊桜花隊の損耗に対する隊員の補充を任とした。

 

桜花

全長6mの胴体に小さな翼をつけた超小型飛行機。車輪などの降着装置は未装備。

母機の一式陸上攻撃機に懸吊、目標に接近してから投下。

滑空を主にロケットも噴射可能。パイロットもろとも目標に突入、生還不可能。

  

練習機/神ノ池基地                           桜花11型/沖縄

 

戦史

昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃

昭和19年 5月  日 1081空分隊長太田正一少尉が「人間爆弾」を構想

昭和19年 6月  日 太田少尉が「人間爆弾」構想を空技廠に提案

               空技廠は航空本部に進達、航空本部にて研究

昭和19年 8月  日 太田少尉が「人間爆弾の私案」を航空本部に提出

               私案協力:東大航空研究所、三菱名古屋発動機製作所

昭和19年 8月16日 航空本部が「○大部品」の秘匿名称で空技廠に試作命令

昭和19年 8月18日 軍令部黒島少将が軍令部会議で「○大兵器」を発表

昭和19年 8月25日 空技廠にて風洞実験を実施

昭和19年 8月28日 軍令部源田大佐が軍令部会議で用法、兵力を提案

昭和19年 8月  日 航空本部が「○大兵器」を「桜花」と命名

昭和19年 9月15日 「桜花」を基幹とする特攻専門部隊の編成準備開始

昭和19年10月 1日 第721海軍航空隊を編成(百里原)、横須賀鎮守府に編入

昭和19年10月19日 大西中将、神風特別攻撃隊を編成

昭和19年10月23日 相模湾にて「桜花」の母機離脱実験に成功

昭和19年10月25日 神風特別攻撃隊敷島隊が突撃成功

昭和19年10月31日 桜花11型単座練習機が実用実験に成功

昭和19年11月 1日 航空本部にて「○大兵器に関する部隊要望事項」を処理

昭和19年11月 7日 神ノ池海軍航空基地に移転、「海軍神雷部隊」の門札を掲示

神ノ池基地

昭和19年11月19日 及川軍令部総長が「桜花」計画について天皇陛下へ上奏

昭和19年11月29日 「桜花」50機を搭載した空母「信濃」が米潜の雷撃で沈没

               (横須賀→呉)

昭和19年12月 1日 連合艦隊司令長官が神雷部隊にレイテ攻撃を内示

昭和19年12月19日 「桜花」50機を搭載した空母「雲龍」が米潜の雷撃で沈没

               (佐世保→比島)

昭和20年 1月 8日 「桜花」58機を搭載した空母「龍鳳」が目的地を比島から台湾に変更

昭和20年 1月20日 桜花隊第一陣が南九州(鹿屋、出水、宮崎、都城)に進出開始

昭和20年 3月21日 第一回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花15機、陸攻18機、戦闘30機)

               戦死160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘10名)

昭和20年 4月 1日 第ニ回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花3機、陸攻3機)

昭和20年 4月 2日 神雷部隊第一建武隊出撃(零戦4機)

  

母機から離脱した瞬間の桜花                   出撃前の第一建武隊

昭和20年 4月 3日 神雷部隊第ニ建武隊出撃(零戦6機)

昭和20年 4月 6日 神雷部隊第三建武隊出撃(零戦18機)

昭和20年 4月 6日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦45機)

昭和20年 4月 7日 神雷部隊第四建武隊出撃(零戦9機)

昭和20年 4月11日 神雷部隊第五建武隊出撃(零戦13機)

昭和20年 4月12日 第三回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花8機、陸攻8機)

昭和20年 4月12日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦17機)

昭和20年 4月14日 第四回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花7機、陸攻7機)

昭和20年 4月14日 神雷部隊第六建武隊出撃(零戦6機)

昭和20年 4月14日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦22機)

昭和20年 4月16日 第五回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花5機、陸攻5機)

昭和20年 4月16日 神雷部隊第七建武隊出撃(零戦9機)

昭和20年 4月16日 神雷部隊第八建武隊出撃(零戦5機)

昭和20年 4月16日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦32機)

昭和20年 4月28日 第六回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花1機、陸攻1機)

昭和20年 4月29日 神雷部隊第九建武隊出撃(零戦10機)

昭和20年 4月29日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦17機)

昭和20年 5月 4日 第七回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花6機、陸攻6機)

昭和20年 5月 4日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦15機)

昭和20年 5月11日 第八回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花3機、陸攻3機)

昭和20年 5月11日 神雷部隊第十建武隊出撃(零戦4機)

昭和20年 5月11日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦22機)

昭和20年 5月14日 神雷部隊第十一建武隊出撃(零戦5機)

昭和20年 5月14日 神風特別攻撃隊として出撃(零戦17機)

昭和20年 5月25日 第九回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花3機、陸攻3機)

昭和20年 5月25日 第一回神雷桜花特別攻撃隊出撃に対する連合艦隊告示

               「第一神風特別攻撃隊神雷部隊桜花隊」の名称で発表

昭和20年 6月22日 第十回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花4機、陸攻4機)

昭和20年 6月22日 第一神雷爆戦隊出撃(零戦7機)

昭和20年 8月13日 第ニ神雷爆戦隊出撃(零戦2機)

昭和20年 8月15日 大東亜戦争終戦

昭和20年 8月18日 桜花創案者の太田中尉、零戦に搭乗し自決未遂

昭和20年 8月21日 部隊解散

※建武隊・神雷爆戦隊は、桜花隊員が零戦(500kg爆弾装備)に搭乗して特攻作戦に参加。

※神風特別攻撃隊は、筑波隊・七生隊・神剣隊・昭和隊と命名。

  筑波航空隊・元山航空隊・大村航空隊・谷田部航空隊から神雷部隊に派遣され特攻作戦に参加。

  

戦没者人数

部  隊  名

戦没者

神雷部隊

桜花隊

55

陸攻隊

365

戦闘機隊

10

建武隊

89

神雷爆戦隊

神風特別攻撃隊

187

その他戦死・殉職者

114

合     計

829

 

戦果

沈没 3隻、損傷 6隻(米海軍の記録より)

 

神雷部隊

更新日:2003/02/06