顕彰 帝國海軍

 

立磐神社

宮崎県日向市

  

日本海軍発祥之地碑            神武天皇が大和征伐に漕ぎ出した美々津の海

碑文

神武天皇御親率の東征御進発の聖地

建立:昭和17年(皇紀2602年)9月10日

復元:昭和44年(皇紀2629年)9月12日

日本海軍は天皇が統治された海軍で有りました。このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて

編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環と

して建立されました。碑文の文字は時の内閣総理大臣海軍大将米井光政閣下の揮毫により、碑面

に刻記されたものであります。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊され

ましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、

現在の通り復元されたのであります。

 

神戸埠頭

兵庫県神戸市中央区

海軍操練所跡之碑/京町筋NTT前

 

海軍操練所顕彰碑/みなと公園

碑文

国史を愛し郷土史を偲ぶ人びとに捧ぐ

昔 この周辺を摂津の国 神戸村小野浜と呼んだ 東は脇浜 西は弁天浜で現在の神戸港の玄関口である

海の先覚者たちは この浜が今に世界的な要港となるのを見通して 神戸海軍操練所を開設した 造船所・

機関学校・兵学校もある広大なもので その生徒も二百名以上を数えた ここから明治維新に活躍した大人

物が多数輩出している この浜は新しい日本の発祥の地である

 

現在の神戸港

 

東京中央卸売市場

東京都中央区築地

旗山

碑文

此処は往昔徳川幕府の時、松平定信の別業浴恩園内勝地たる賜山の一部に属す。明治二年海軍省衙を

此地に置く。五年本省設置後、海軍卿御旗を此丘陵に樹つ。世人呼んで旗山と称す。此地や実に海軍経

営の根基を為せり。蓋し其の発祥の地と謂ふべし。爾来春風秋雨幾星霜、省庁移転し僅に一、二の御門を

留むるのみ。地形漸く変わり旧時の状景亦尋ぬるに由なからんとす。乃ち旗山の地点を相して一碑を建て

以て記念と為すと云爾。

 

横須賀臨海公園

神奈川県横須賀市

海軍の碑

建立趣意

浦賀に黒船が現れ、鎖国の夢を破られた幕府は、ここ横須賀の地に製鉄所を建設し、近代海軍

の創設を企画した。

その後、明治維新により明治政府が樹立され、幕府は西欧諸国に比し、一世紀以上の遅れを取

り戻すべく、我が国の近代化に着手した。

特に海軍の整備が重要視され、日清及び日露両戦役を経て、わが国の海軍は次第に整備充実

され、世界三大海軍国の一つとして、その地位を占めるら至った。

こうした近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、横須賀はその最重要基地と

して、かつての一寒村からわが国屈指の軍港都市となり、発展を遂げることになった。

海軍終息から五十年という節目に当る本年、明治以来太平洋戦争終結までこの地にあった日本

海軍の歴史、並びに太平洋戦争において亡くなられた多くの人々を偲びつつ、またわが国の永遠

の平和を希求するため、この記念碑を建立する。

 

岡崎東公園

愛知県岡崎市

海の記念碑

碑文

時まさに岡崎市制六十周年 ここに岡崎市海友会は創立六十五周年を記念し

戦艦「長門」の副錨をもって「海の記念碑」を建立する

これは海国日本の永遠の平和を祈念する心の象徴である

 

帝國海軍

更新日:2003/10/18