海軍艦艇殉難史  第四十三潜水艦

 

「第四十三潜水艦」は、大正10年 6月に呉海軍工廠で竣工した海中二型潜水艦であった。

大正13年 3月19日、佐世保港外で襲撃演習中に軽巡洋艦「龍田」と衝突、乗組員45名全員が

殉職した。救難作業により浮揚したのは一ヶ月後の4月19日だったが、乗組員一同は死に直面し

ながらも一糸乱れず従容として職責を尽くしていた。その遺書は全て新聞に発表され、大正デモク

ラシーの世相下にあった国民に与えた影響は大きかった。

事故後に引揚げられ「呂号第二十五潜水艦」として再就役した。

 

鵜戸越

長崎県佐世保市

嗚呼第四十三潜水艦碑

碑文

大正十三年五月一日 岡田海軍次官 高橋佐世保防備隊司令は東宮仮御所に於いて攝政宮殿下

に拝謁し 第四十三潜水艦殉難将士の遺言を上覧に拝して委細御説明申し上げし所 殿下親しく御

熟覧被遊 右の優湟なる御沙汰を賜わりたり

 

一同忠誠軍人の本分を尽し従容死に就きたるは感動する所なり

仍遺族に対しては深く同情に耐えず 之を遺族に伝えよ

 

説明板

大正13年 3月19日、佐世保海軍鎮守府の43号潜水艦が佐世保港外で演習中、軍艦と接触して

沈没する事故が起こった。45人の乗組員は生きながら海底に閉じ込められ救助を待ったが、救出

できず、全員が帰らぬ人となった。

 

艦艇殉難史

更新日:2009/06/07