峯 眞佐雄 奉職履歴
昭和45年 8月初版
吉田俊雄・半藤一利「全軍突撃/レイテ沖海戦」オリオン出版
全軍突撃 レイテ沖海戦(抜粋)
出撃(昭和二十年十月二十二日)
午後七時三十分ごろ、昼間の燃料補給の際、終了直前にアメリカ潜水艦の襲撃があり、瑞鶴の横腹めがけて魚雷が
走ってきたことを、前部左舷高角砲指揮官・峯眞佐雄少尉は、あらためて戦慄をもって思い出している。
あのとき、雷跡の刻一刻と近接してくるのを、少尉は指揮所に突っ立ってじっと見つめていた。
ただ手をこまねいて見ているほかはない自分が、なぐりつけたいほど歯がゆく思えた。
十九歳で自分の生命が終わってしまうのを、一秒きざみで見る想いであった。
しかし、少尉は意識しなかったが、瑞鶴の舳はゆっくりではあるが、確実に魚雷の方向に変っていたのである。
見方によっては、魚雷の方が真横から徐々に方向を変えて、艦首と平行した線上に位置を移したようにも見える。
そして、巨艦と泡をふく殺戮者は、あっと思う間もなく、たがいにすれ違っていた。
「へエー、操艦のうまい艦長だな」
と、峯少尉は、ひどく感心したが、このときの潜水艦の攻撃は思いもかけぬ効果をもたらしていた。
燃料補給を中止し、艦隊は一時全速で東方に退避したため、駆逐艦の二隻は補給未了、作戦続行が不可能となり、
日本内地へ戻ることを余儀なくされたのである。
小沢艦隊は、それでなくとも不足の駆逐艦二隻をこうして失った。
若い峯少尉はそんな事情を知らず、ただ、その夜の月の美しかったことを、しっかりと脳裏に刻みつけている。
戦機(十月二十四日午前)
瑞鶴のアイルランド型艦橋のマスト高くZ旗が翩翻とひるがえった。
皇国の興廃はこの一戦にある。母艦四隻は風に立った。
戦・爆・攻あわせて五十八機は、編隊を組み終えると、南の空に機影を没する。
(中略)攻撃隊は翼を振って南の空に消えた。
あとには空白のような時間が、小沢艦隊におとずれる。
攻撃隊の成果が判明するまでに二時間近くを要するであろう。
攻撃機五十八機は艦偵を先にたて、かれらもまた、二航艦の攻撃隊が襲った北方のシャーマン隊に向かった。
ここでも協同攻撃のための十分な事前の連絡があったなら、と惜しまれる。
瑞鶴の峯少尉、近松少尉、瑞鳳の阿部少尉、千歳の岩松少尉、大淀の森脇少尉たち、小沢艦隊の将兵にとって、
いま静かに時を刻んでいる時間が、無限に長い時間のように感じられるのである。
決戦(十月二十五日午前)
まず小沢中将は、“おとり作戦”成功のよろこびを伝える第一報を全艦隊に送った。
「敵艦上機の接触を受けつつあり」
たらした糸に、待望久しき大魚がものの見事にかかったのである。
高価な血の犠牲だが、小沢中将はそれを待ち望んでいた。
小沢本隊第一群は瑞鶴、瑞鳳をはさんで伊勢、大淀、初月、若月、秋月、桑の輪形陣。
松田支隊の第二群は千代田、千歳を囲んで日向、五十鈴、多摩、霜月、槙が直衛した。
二部隊間の距離八キロ。いよいよ戦闘開始、旗艦・瑞鶴のアイランド型の艦橋上には戦闘旗と中将旗が風に
へんぽんとひるがえっている。
八時十七分、敵機動部隊よりの第一波百八十機が二手に、第一群に百十機、残りは第二群へとわかれ、
その上空に達してきた。
そこに直衛の零戦隊が白刃をひるがえして殴り込んだ。
星のマークのついた雷撃機が一機火を噴いて墜落、数機が傷ついて抱いていた魚雷を放りなげ避退した。
空中の勝負はそこまでであった。
やがて大空は星のマークにおおわれた。
瞬時をおかず日本艦隊よりの対空砲撃が開始される。
敵機の姿を明確にとらえていながら、砲撃を開始するまでの長い空白な時間は、将兵にとって、はげしい昂奮と、
そのくせ下半身がしびれ、足のつけ根から力が抜けていくように感じられる奇妙な時間であった。
旗艦・瑞鶴の高角砲指揮官・峯少尉はそうした頼りなさの中にあって、ふと自分がこれから戦おうとしているのが、
現実のことではなく、夢の中のことかも知れないと思うのだった。
幻想ともつかず現実とも思えぬ奇妙な意識の混淆があった。
ただ、次第に激しくなるおのれの鼓動を意識することで、死と隣り合わせた間違いのない現実であることに、
少尉は気づくのである。
ハルゼイ大将にあくまで狙われた小沢艦隊には不運がつきまとった。
おとりの役を完璧なまでに果たしながら、その覚悟どおり全滅するまで戦うほかないのか。
瑞鶴、瑞鳳、千代田に攻撃は集中してきた。
瑞鶴の高角砲指揮官・峯少尉の記憶している戦闘は、その言葉どおりにいえば
「わんわんやってきて、どかどかやった」という無我夢中の時間の連続だったようだ。
なんども、舷側をかすめて走る魚雷を見、高くあがる水柱のしぶきを浴びた。
少尉は、なんと操艦のうまい艦長であることかと思ったことも記憶している。
あくなき信頼をかれは艦長・貝塚武男大佐においていた。
しかし、技術と闘魂のみでは艦を救うことのできないときであった。
ついに避けきれず魚雷を受けると瑞鶴は横に震えた。
爆弾が命中すると巨艦は縦にゆれて悲鳴をあげた。
少尉は、あの艦長にしてなお命中弾を受けるのは仕方がないと思った。
運不運の問題ではなかった。
いかに不沈対策がしてあり、乗組員の超人的な努力があったとはいえ、数量を誇る攻撃の前には、不沈は所詮
形容詞にすぎないと峯少尉は思った。
離脱(十月二十五日午後・夜)
瑞鶴を打ちのめしたと察知した敵機が目標を瑞鳳に移動したとき、瑞鶴の高角砲指揮官・峯少尉は自分の空母に
最後の訪れたことを承知した。
楽観的に考える余地もない。
兵は黙ったままじっし少尉を見つめ、その顔、顔には混乱と昂奮と陰惨な恐怖の色が浮かんだ。
ここでしっかりしなければ、とかれは思った。
艦が沈んだら助けられないものと覚悟しておけと上官からいわれ、また部下にもいいつづけてきたのだが、
いよいよそのときが近づいたとき、どんな覚悟も結局は無駄であることを知った。
恐怖心が生まれ、恐ろしく悲惨に思えた。
しかし、それからのがれることは自分たちの力の及ぶところではなかった。
死か生か、選択の自由はないと少尉は思い、気をひきしめて遠い海をにらみつづけた。
部下の眼を意識しながら平然としているように装い、海に視線を送っていた。
軍艦旗は、傾いた飛行甲板にならんだ瑞鶴乗員の生存者の敬礼を受けながら、明るすぎる南海の、午後の陽を
浴びてするすると降ろされた。
艦長は退艦命令を発するとともに、そばに並び立つ若い少・中尉らの士官に向かい声をはげましていった。
「君たちはまだ若い。すみやかに退艦せよ。死んではならん。あくまで生きて御奉公せよ。これは艦長命令である。
艦長は君たち全員が降りてから退艦する。命令する。死んではならんぞ」
歴戦の航海長が言葉をそえた。
「君たち早くいけ。泳ぎにくいから靴はぬいでいけ。脚絆も解いた方がよいぞ」
若い士官たちは顔を見合わせ、そして、艦長に挙手の敬礼によって別れを告げた。
高角砲指揮官・峯少尉、甲板士官・釘貫一郎少尉、水測士・石川寿雄少尉、電測士・戸村靖少尉、
航海士・近松少尉ら海兵七十三期の若い少尉たちの顔がその中にそろっていた。
かれらはいわれたとおり靴をぬぎ、脚絆をとった。
飛行甲板は真っすぐに歩けないほどに傾いていた。
そのときになっても、容易に海へ飛び込もうとするものはいない。
高所からのぞむ泡立つ水面に対する恐怖もあった。
しかし、いままでともに戦ってきた瑞鶴と別れがたいとする哀惜が、あるいは、だれかの胸にこみあげてきた
からであろうか。
瑞鶴は沈んだ。
午後二時十四分である。
波間に浮く将兵は遠巻きに立ち泳ぎをしながらこれを見守った。
西に回った太陽を受けて無我に引きさかれた鋼板がめくれて異様に輝いた。
ゆっくりとした速度で重そうに艦首を持ち上げた瑞鶴は、そのままなんのためらいもなく海面に没し去った。
それは轟沈とか撃沈とかの軍事用語は適当でない静かな沈没であった。
たったいままで二千数百名の将兵が生死をその艦にあずけていたと思うと、将兵にはいいようのない悲しさと
懐かしさがこみあげてきた。
多くの将兵は顔を海に沈めて泣いた。
峯少尉も泣いた。泣き、泣き、だれが先に歌い出したかわからぬが、海上にいつか流れていた「海行かば」の歌に
和し、少尉は大きな声をはりあげた。
若月と初月の救助作業のはじまっているのが、波の間から望視されたとき、峯少尉は、兵学校時代の同じ分隊の、
眉のきりりとした土屋幸次少尉の顔を思い出した。
どうせ拾われるならとかれは考えた。“土屋のいる若月にしよう”と。
なつかしい同期生の存在が後に峯少尉の生命を救うことになる。
初月は、その日の夜戦で沈没。初月に救われた将兵は戦死した。釘貫少尉、戸村少尉もその中に含まれる。
しかし、そんなことはそのときに知り得ようもない少尉は、若月めがけて力いっぱいに泳ぎだしていた。
若月も初月も同型艦だったが、煙突に白いペンキで鉢巻きを描いて隊番号を示し、二番艦以外は○△×で区別した。
少尉は、波間に見えかくれする若月の煙突にしっかりと眼をすえた。
そして、その艦めがけて力いっぱて泳ぎだした。
若月は生存者救助のために浮かんでいた。
瑞鶴の峯少尉は、土屋少尉のいる若月に拾ってもらったとき、どういうわけでもなく時計を見た記憶をもっている。
しかし、「時計は防水がしてなかったため」二時半で止まっていた。
それは瑞鶴沈没の十六分後を意味する。
更新日:2007/12/30