高田 満

海軍少尉

 

遠藤 稔  影浦 博

海軍上飛曹                海軍上飛曹

 

「三四三空隊誌」:田中三也(偵四)さんの手記より

彩雲偵察機と「三魂之碑」(抜粋)

戦爆連合にいどむ彩雲

昭和20年3月19日、空母15隻を含む敵機動部隊は、前日来、日本本土に接近しっつあった。

午前4時、偵察隊搭乗員の整列の時刻だ。

千載一遇の好機に、やや緊張気味の面持ちで戦況に耳をかたむけている。

遠くの試運転の書も止み、再び静けさがもどった。

宿舎へ引き揚げる整備員か、赤いランプがチラチラ見える。

普通の日と変わらない夜明け前のひとときである。

東の空が、ほんのりと赤味をおぴる頃、各指揮官も顔をそろえた。

壕内の司令部には、決戦の策を練る様子が見える。

五時四十分、彩雲三機が二千馬力の快音を残し、四国南方の敵を求めて飛び立った。

事を祈って、機影を追った。

壕内の無線室には、電燈があかあかとともり、決戦前の緊張が続く。

 

待つこと一時間。

高田機から、無電が入った。

「敵機動部隊見ゆ、室戸の南三十浬〇六五〇」

他の彩雲からも入電があり、壕内が急に殺気立った。

「われ、エンジン不調引き返す」

高田機からだ。どうしたのかな、心配だ。

「敵大編隊、四国南岸北上中」

「さらに、敵編隊見ゆ、地点高知上空」

「敵は戦爆連合五十機北上中、高度二千米」

高田機から、やつぎ早やに入電した。

待期中のJ改(紫電改)の一隊が、発進していった。

そして、彩雲一機も、誘導のため、J改の後に続いた。

「さらに、敵三個編隊見ゆ、戦爆連合首機北上中、高度四千米、高知の西二十浬」

敵状が、くしの歯を引くように読みとれる。

もちろん、上空で待機中のJ改へも連絡された。

七時四十分頃、またしても高田機からだ。

「ククク」(われ空戦中)

一瞬シーンとした。

単機で、敵大編隊に立ち向かう機長の叫びが聞えるようだ。

こうなっては、いかに俊足の彩雲でも、敵を振り切ることは不可能だ。

「遠藤頑張れ」と誰かがどなった。

離れろ、逃げるんだ≠ニ心の中で祈る。

「われ、突入す」

「 − 」

三秒ぐらいで、発信音はプツリと切れた。

やったか、心臓に針でも突きささるような馨だ。

運命とはいえ、やりきれない気持だ。

基地空襲警報が、高々と鳴り響いた。

 

全機発進

待ちに待った時が来た。

J改隊が、次々に先を争γように舞い上った。

「チクショウ、チクショウ」と、歓声とも悲壮ともとれるJ改の叫び声が入る。

無線のスイッチを受信にする余裕がないのだろう。

同期生の本田稔も、力一杯撃ちまくっているにちがいない。

彼は、天誅組の元気者だ。今晩あたり、またしても撃墜数を威張ることだろう。

敵の一機が、、対空砲火をかいくぐって、一直線に突っ込んでくる。

ヒユー″と無気味な音。

ガアーン≠ニ大きな普と共に、身体が浮き上った。

至近弾で壕の一角が崩れ、壕内は、きな臭い煙で充満した。

司令は、無言のまま空をにらみ、双眼鏡を握る手にも力がこもっていた。

上空の各隊指揮官を信頼しきっている様子だ。

呉の方角か、黒い煙が数本と、対空砲火の弾幕が点々と見える。

青空を背景に、大きく弧をえがく戦尉機群。

スーッと黒いものが落ちたかに見えたが、一瞬パッと白い傘が開く。

燃料給油のために、着陸姿勢に入ったJ改に敵機が襲いかかる。

その後方からまたJ改が襲う。

地上の対空機関銃が、一せいに火を吹き、曳光弾が飛び交う。

白連を引いて落ちて行く。海に水柱が立つ。

全神経を燃焼し尽すような、ものすごい戦闘場面だ。

壕の前には、赤黒い血痕が点々として、壮絶というほか表現を知らない。

未だ日は高いが、敵機は去り、ようやく戦闘は止んだ。

この日の撃墜は、五十八機を数えたという。

J改隊の大勝利の影に、またしても、還らざる一機の彩雲があったのだ。

 

高田機の最期

三月二十一日、憲兵隊よりの連絡で、高田機の遭難が確認された。

場所は、高知県高岡郡東津野村芳生野の山中である。

翌二十二日、調査のため、松山より、山越えのバスで高知県の現場に急行した。

東津野役場に着いた時は、日もぽっくりと暮れていた。

遭難を目撃した人よりの情報と、高田機の無線連絡等を総合して、

調査結果を次のとおり報告した。

 

三月十九日七時四十五分頃、高田機は、敵機動部隊を発見後エンジン不調となり、

基地への帰投中であった。

東津野村芳生野字丙の上空において、四十機・二十機・四十機の三群よりなる敵戦爆連合に遭遇し、

空中戦となった。

敵の集中砲火を浴びた高田機長はもはや離脱は困難と判断し、体当りを決意した。

電信員の影浦上飛菅は、最期まで敵情を打電し、

そして操縦員の遠藤上飛菅は、傷ついた愛機を操縦し、白煙を吐きながら、東方より敵編隊に突入した。

(敵機の墜落を確認している)そして見事に刺し違えたものである。

当日の天候は、晴・視界三十浬・雲量三・雲高三千米であった。

 

高田少尉は、,右頸部盲貫銃創、胸部粉砕。

影浦上飛菅は、後方より胸部貫通銃創、両腕二個所骨折。

遠藤上飛菅は、前頭部粉砕。

現場は、海抜七百米の山腹で、急傾斜の森林地帯である。

胴体や翼はちぎったように分離し、木の幹を引き裂き、山肌をえぐるようにして突き剃っていた。

機体は、三つの峯に飛び散り、体当りのすさまじさがうかがわれた。

村長始め、警防団・国防婦人会の方々の協力によって遺体は収容され、

二十二日には葬送もおこなわれた。

遺体は、血まみれになっていたが、三名とも、清潔な下着をつけており、

出陣の覚悟のほどが感じられたと、一同涙して語ってくれた。

 

三魂之塔

高田機を目撃した人々は、その肉弾相打つ壮烈さに心を打たれ、

遭難現場には、四季折り折りの花をたやきなかったという。

あれから三十年、靖国神社法案も解決せず、世相も大きく変わった。

村の老人達は、薄れゆく祖国愛の心に憤りすら感じているという。

三人の霊を慰めるとともに、永久の平和を願うしるとして、塔の建立が話しあわれた。

宮村徳実、山本時郎、西村定延の三氏が中心となって同志を募り、精神的な問題も乗り越え、

建立することに決定した。

そして、老骨にむち打って、谷川から多くの石を運び上げ、暑さにも負けず、寒さにも耐え、

すべて村人達の手によって建立作業が続けられた。

足場の悪い遭難現場での工事だけに、物心両面の苦労も多く、一年数か月を要した。

しかし、ついに一心こめた石碑が完成したのである。

碑は、「三魂之塔」と命名された。

 

天狗高原

高知県高岡郡東津野村

三魂之塔

 

    

三魂之塔に供えられた偵察機「彩雲」の脚

 

本土防空

更新日:2009/10/01