杉崎 直

海軍少佐

 

昭和20年3月31日、マリアナ基地からB29の大編隊が大村方面へ来襲中との情報により

三五二空に全機即時待機が令された。出撃にあたり杉崎 直飛行隊長(兵69)は、郷里の

親友から贈られた懐剣を救命胴衣の間に収め決意を秘めていた。1015 杉崎隊長指揮の

邀撃戦闘機隊、零戦・雷電・月光計36機と大村空零戦10機が発進、地上指揮官の指示に

より高度9千メートルの哨戒高度に上昇中、予期に反して、1035頃、高度4〜5千メートルで

大村上空に侵入して来たB29の編隊を発見したが、時既に遅く有効な攻撃を敢行することは

出来なかった。それでも杉崎隊長は何とか熊本県三角上空で敵編隊を捕捉して、果敢に突入

したが無念にも被弾、火を発して壮烈な戦死を遂げた。

 

杉崎隊長機の墜落現場となった蜜柑山の地主さんは、収容洩れになった遺体の一部を発見し

て、氏名不詳のまま埋葬して木の墓標を建てひそかに供養していた。やがて地主さんも変わっ

たが、新しい地主さんも朽ちた木の墓標を石碑に建て替え供養を続けていた。そのうちに杉崎

隊長の遺体の一部である事もわかり、地元の有力者も動くことになり、墜落現場に程近い三角

町千房に留魂の碑が建設され、杉崎隊長の功績が顕彰されている

 

郡浦千房地区

熊本県宇土郡三角町

杉崎  直海軍少佐 留魂

空の軍神 杉崎 直

従六位勲五等 雙光旭日賞

大分県直入郡 大正九年十二月三十一日生

長崎県大村題三五二海軍航空隊飛行隊長として零式戦闘機に搭乗し 戦闘及び哨戒二十四回従事し

B二十九を単独で一機撃墜 部下と共に四機撃墜し 又不確実八機の戦果を上げたる勇士なり

時昭和二十年三月三十一日 午前十一時二十分 B二十九 三十一機に対して只一機を以って交戦 

腹部に被弾し愛機と急上昇し必死の体当りを敢行せんとせるも 愛機は火を吐き飛行不能と成り遂に

高度九千米に於いて機と共に散華せり

同郷軍神廣瀬中佐をしたう杉崎少佐も 実に忠君愛国 一死奉公のかがみ也

国民各位 勇士の精神忘却せぬ様之碑建立す

三角町文化財協力会副会長  枝森久一

 

本土防空

更新日:2009/01/18