中村 純一

陸軍中尉

 

略歴

大正10年12月20日 鹿児島県鹿児島郡西武田村出身

昭和18年 5月  日 東京農業大学を繰上卒業

昭和18年10月 1日 宇都宮陸軍飛行学校入校

昭和19年 3月23日 比島第32教育飛行隊

昭和19年 8月10日 飛行第56戦隊

昭和20年 3月31日 第12飛行師団編入(芦屋)

昭和20年 5月24日 飛行第56戦隊(伊丹)

昭和20年 7月 9日 大阪・北河内郡星田村にて敵機と交戦、戦死(享年23歳)

 

 

墜落

昭和20年7月9日、硫黄島から飛来したP51機に対して、阪神防衛を任とする伊丹飛行場から「飛燕」

が迎撃。中村純一陸軍少尉が空中戦で撃墜され、落下傘で降下中に敵機の翼によって紐を切られ星田

駅付近に落下、散華した。享年23歳。遺体には殆ど外傷も無く、星田村の住民達が清冽な小川で遺体

の泥を洗い流し通夜を営んだ。享年23歳。

昭和51年、中村中尉のご遺族が「遺族通信」に墜落場所を探している旨の記事を掲載したところ、これ

を読んだ星田村の住民から連絡が入り、ご遺族は戦死から31年を経て初めて墜落場所への訪問がか

なった。

 

宝塚聖天

兵庫県宝塚市

中村中尉慰霊碑

碑文

故陸軍中尉中村純一は学鷲として阪神防衛に参戦 絶望的な戦局に動ぜず眦を決して天翔る

愛機飛燕を駆り凄絶死闘 夏蒼穹に光烈散華す 雲染めて声なし

時 昭和二十年七月九日 於 大阪星田村 特操一期 鹿児島二中 東京農大卒 二十三歳

愛惜尽きず

 

JR星田駅そば(墜落地点)

大阪府交野市(旧北河内郡星田村)

中村中尉鎮魂碑

碑文

陸軍中尉中村純一は学鷲として参戦 凄惨苛烈なる戦局俄かに急迫を告ぐる頃 一切の懐疑迷妄を越え

淡々として特別攻撃隊を志す

昭和二十年七月九日 天日を覆ひて来襲せる敵機群に突入 壮絶なる空中戦を展開するも遂に被弾この

地に恨みを残して散る 近隣有志が相集ひ烈士の霊を懇ろに弔い鎮魂の碑を建つ

平和は血と涙によって築かれたるも愛惜と悲しみは尽きず痛恨の碑の前に伏し御霊安かれと祷る

 

いきいきタウン交野

大阪府交野市

平成17年 3月16日、大阪府交野市星田北地域の第二京阪道路建設工事現場で、飛行機の残骸

(機関銃1丁、銃弾3発)が発見された。その後、25日までに多数の各種部品が見つかった。

これらの部品は陸軍戦闘機「飛燕」のもので、昭和20年 7月9日に米軍機との空中戦で戦死した

中村純一陸軍中尉の乗機と確認され、戦死から60年目の発見となった。

 

    

プロペラ                            エンジン

    

機関銃                           機関砲

その他の部品

 

本土防空

更新日:2005/09/03