木更津海軍航空隊

 

 

木更津海軍航空隊は、平時には東日本の本土防空を担当し、戦時には最前線基地から長距離攻撃を

実施する外戦作戦実施部隊として、西日本を担当する鹿屋海軍航空隊と同時に開隊。

日本初の陸上攻撃機部隊として、日中戦争序・中盤と大東亜戦争序盤は爆撃・攻撃・偵察行動に従事。

他基地の陸攻隊・陸爆隊の多くが木更津で練成に励んだ。

 

昭和17年11月に第七〇七海軍航空隊と改称、木更津を原隊として編成された部隊は七〇七空のみ。

翌12月に七〇五空へ編入され解隊したが、木更津基地は七〇七空の解散後も拠点基地として多数の

陸攻・陸爆隊が使用した。

七〇五空は昭和18年に撤退するまでラバウルに留まり外南洋の激戦に従事した。

 

略歴

昭和11年 4月 1日 開隊 横須賀鎮守府隷下、陸上攻撃機12機配備

昭和12年 7月11日 盧溝橋事件 鹿屋空と第一連合航空隊を編制、20機で大村空および済州島に進出

昭和12年 8月15日 大村空より南京爆撃

昭和12年 8月16日 大村空より蘇州爆撃

昭和12年 8月17日 大村空より漢口爆撃

昭和12年 9月17日 台南飛行場に前進、以後は鹿屋空と協同で広東方面を爆撃

昭和12年10月下旬 上海に進出、南京・漢口・九江方面を爆撃

昭和13年 1月 5日 南京に進出

昭和13年 2月18日 重慶初空襲、以後、重慶・成都・西安・洛陽・蘭州を爆撃

昭和13年12月 1日 木更津に帰還

昭和14年 9月 5日 漢口に進出、成都・蘭州・桂林・柳州などを爆撃

昭和14年11月 4日 第一三航空隊を主軸とする成都爆撃隊に参加。

昭和15年 1月 5日 木更津に帰還、実用機練成に従事、美幌空・元山空・第一空・三沢空の要員を養成。

昭和17年 4月 1日 第十一航空艦隊第二十六航空戦隊に編入、本州東方沖の哨戒に従事

昭和17年 5月26日 本隊は千歳・美幌に進出、千島・道東沖の哨戒に従事

              別働隊は南鳥島に進出、小笠原諸島東方沖の哨戒・対潜攻撃に従事

昭和17年 8月 7日 ラバウル派遣命令

昭和17年 8月26日 ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を三沢空と共同で爆撃

昭和17年 9月 6日 ポートモレスビーを爆撃

昭和17年10月11日 千歳・日進の第二師団重火器輸送を上空支援

昭和17年11月 1日 第七〇七海軍航空隊に改称

昭和17年12月 1日 解隊

 

 

吾妻公園周辺

千葉県木更津市

隊門

 

  

基地遺構

 

陸上自衛隊 木更津駐屯地

千葉県木更津市

  

基地遺構

 

  

基地遺構

 

海上自衛隊 木更津航空補給所

千葉県木更津市

基地遺構

 

  

基地遺構

 

  

基地遺構

 

航空自衛隊 第一補給処

千葉県木更津市

基地遺構

 

本土防空

更新日:2008/07/05