石塚光夫

海軍中尉

 

石塚光夫海軍少尉

 

太平洋戦争も終局を迎えた昭和二十年八月八日 午前十時 沖縄より北九州方面の攻撃に向う

B29爆撃機の大編隊の真只中に敢然と単機迎撃をかけた三四三海軍航空隊所属の石塚少尉

搭乗の紫電戦闘機が此の地の上空で壮烈なる散華を遂げた。

石塚機は被弾して約千メートルくらいを飛行機の破片をまき散らしながら山中に墜落、遺体は座席

がついたまま仰向けの状態で発見された。

当時此の地は黄楊・這松の群生する原野であったが 遺体捜索に当った村人達によってねんごろ

に荼毘に附され 遺骨は後日遺族のもとに手厚く引き渡された。

昭和53年、道路計画により墓地の移転を余儀なくされたが、町当局と付近住民の協力と、地元

予科練会の尽力により明治百年記念公園の最も見晴らしの良い場所に移転され、ご遺族や戦友

により観音像や「殉空の碑」が建立された。

 

「三四三空隊誌」より

髭をはやして、とてもよいお父ちゃんでした。愛称は「ちゃん」でした。本当に貴方にびったりの愛称

でした。

あなたはまた、飛行場に残飯をあさりに出てくる野良犬にも優しい愛情を持ち、我々がいじめると

とても怒りました。本当にやさしいお父ちゃんでした。

八月八日の戦闘で熊本上空にて戦死されました。ちゃんの顔、そしてやさしいお気持ちは今も忘れ

ません。安らかにお眠り下さい。

 

明治百周年記念公園

熊本県玉名郡三加和町

殉空の碑

碑文

桜葉よ しんしんと日暮がむしばむ桜葉よ

お前は覚えているか 夕焼の南の空に消えて再び還らぬ戦友を

青葉若葉が そして桜の花が 野山にかげろうとき

あの声がきこえたに違いない

 

  

石塚光夫海軍中尉墓                                ご妻女が建立した観音像

 

  

     墓碑に供えられた紫電改模型                         郷土の空に散った石塚中尉を讃える歌

 

郷土の空に散った石塚中尉を讃える歌

棚引く雲を蹴散らして 本土の空に敵を激つ

雄叫び高き紫電改 腕は冴えたる撃滅の 凱歌はあがる黒煙り

 

三四三空精鋭の 天誅組は今も翔く

敵編隊の只中に 火を吹く機銃二十粍 凱歌はあがる黒煙り

 

石塚一番突込めば 列機は続く雲の果て

急反転の鉾先は ささる火箭の銃弾に 凱歌はあがる黒煙り

 

時これ八日午前九時 敵来襲の警報に

サッと羽撃く紫電改 大村基地をあとにして 敵編隊に殴り込み

 

飛び交う弾雨潜り抜け 目指すは敵の爆撃機

遺恨なるかや紫電改 エプロン吹き飛び壮烈に 石塚中尉被弾せり

 

さらば祖国の同胞よ 永遠の栄えを信じつつ

今従容に死地に就く あゝ忠勇の石塚機 誉は高く残るべし

 

石塚光夫海軍中尉 戦死の地

 

本土防空

更新日:2009/08/16