阿部司郎・日比重親

陸軍中尉                陸軍中尉

 

阿部司郎 略歴

大正12年 7月 4日 神奈川県出身

昭和19年 3月20日 陸軍航空士官学校 卒業(陸士57期)

昭和19年 3月21日 明野陸軍飛行学校 入学(乙種学生)

昭和19年 6月20日 明野教導飛行師団 司令部付(飛行学校改編による)

昭和19年 7月 1日 陸軍少尉 任官

昭和19年10月25日 乙種学生 修業、第一教導飛行隊付

昭和20年 6月 5日 本土防空作戦において潮岬沖にてB29に体当り、戦死

 

 

 

 

日比重親 略歴

大正12年 2月 8日 東京都出身

昭和19年 4月20日 陸軍士官学校 卒業(57期)

昭和19年 4月21日 陸軍航空士官学校 入学(第96期召集尉官操縦学生)

昭和19年 7月 1日 陸軍少尉 任官

昭和19年 9月19日 操縦学生修業

昭和19年 9月26日 明野教導飛行師団 司令部付、乙種学生として入校

昭和20年 3月31日 乙種学生 修業

昭和20年 4月 1日 明野教導飛行師団 作戦補充要員

昭和20年 6月 5日 本土防空作戦において潮岬沖にてB29に体当り、戦死

 

昭和20年 6月 5日の戦闘

南鳥島の監視哨からB29の大編隊の北上が報じられた。陸軍明野教導飛行師団の五式戦13機は、

これを補足迎撃すべく発進し、伊賀上野の上空6,000mで阪神地区の爆撃を終えて南下するB29

約250機の編隊と会敵した。五式戦13機は日頃訓練した前方やや下方からの攻撃を行い、B29撃墜

11機・撃墜不確実5機・捕虜23名の戦火を挙げたが、阿部司郎少尉・日比重親少尉の2機はB29に

体当りを敢行し和歌山県潮岬南方8kmの洋上で墜落、以後三日間にわたり捜索が続けられたが

生死が確認されないまま戦死と認定された。

 

その後、二人の少尉の遺体は紀伊長島の方々に回収されたが、身元が判明しないまま「無名勇士之墓」

として町営墓地に葬られた。両少尉の身元が判明しご遺族に知らされたのは、58年が経過した平成15

年だった。

 

町営墓地

三重県北牟婁郡紀伊長島町

  

無名勇士之墓

碑文

陸軍明野教導飛行師団 第一一一戦隊

陸軍中尉阿部司郎 陸軍中尉日比重親

昭和二十年六月五日、当町沖上空にて、米軍B29爆撃機に体当り攻撃し、自らも国に殉じた。

遺体は、身元不明のまま埋葬され、五十八年の時を経て、事蹟が明らかになった。

後世にこれを伝える。

 

竜泉寺

神奈川県相模原市

  

阿部司郎陸軍中尉 墓碑

 

  

平和観世音塔

 

当山出身尽忠報国之諸精霊

 

本土防空

更新日:2008/01/14