宇和島空襲
宇和島義勇消防史による空襲の記録
概要 |
被害 |
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日時 |
被災地区 |
被弾数 |
被災家屋 |
被災人数 |
死亡人数 |
5月10日 8時50分頃 |
朝日町、須賀通 寿町 |
100K〜250K爆弾約18個 |
154世帯 |
606人 |
115人 |
6月22日 9時頃 |
住吉町 樺崎沖 |
100K〜250K爆弾 約3個 |
5世帯 |
16人 |
9人 |
6月29日 1時頃 |
和霊町 大浦 |
焼夷弾 無数 |
70世帯 |
210人 |
8人 |
7月 2日 4時半頃 |
白浜 石応 |
焼夷弾 |
8世帯 |
48人 |
無し |
7月11日 14時頃 |
大浦湾海上 |
爆弾 |
無し |
無し |
無し |
7月12日 23時頃 |
市内北西部 |
焼夷弾 無数 |
1,950世帯 |
8,755人 |
28人 |
7月22日 23時頃 |
玉ヶ月 |
爆弾 |
無し |
無し |
無し |
7月25日 11時頃 |
大浦 (宇和島鉄工) |
爆弾 機銃掃射 |
3世帯 |
16人 |
無し |
7月27日 21時頃 |
九島沖 |
照明弾 |
無し |
無し |
無し |
7月29日 24時頃 |
市内中央部 |
焼夷弾 無数 |
3,880世帯 |
13,500人 |
100人 |
8月 8日 10時30分頃 |
200K爆弾 (模擬原爆?) |
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18人 |
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8月12日 11時30分頃 |
市内上空 |
機銃掃射 |
無し |
無し |
無し |
※これ以外にも、日振島で艦載機からの住民に対する機銃掃射があり、主婦が重傷を負ったという記録がある。
7月12日の空襲では、B29重爆撃機8機から10機が飛来し照明弾に続いて焼夷弾を投下、市中心部から南部・東部へ
と燃え広がり市中央部が悉く焼失した。
貴重な文化遺産である宇和島城の大手門(国宝)もこの時に焼失したと思われる。
続く7月29日の空襲では、B29重爆撃機29機が50キロ焼夷弾90トン、250キロ集束焼夷弾115トンを投下、市内は
殆ど焼失した。
和霊公園
愛媛県宇和島市
一九四五年宇和島空襲死没者追悼平和祈念碑
碑文
太平洋戦争末期の昭和二十年五月十日 わが町はB29による初の空襲を受けた 爆弾は朝日町一帯を
直撃し言えも人も打ち砕き一瞬にして多数の人々の命を奪い その惨状は目を覆うばかりであった
その後のたび重なる空襲による焼夷弾は雨となって降りそそぎ またたく間に街の大半を焼き尽くし 逃げ
おくれて路上或いは防空壕の中で焼死または火傷を負う人が出た 焼野が原となった街には人や物の焼
け焦げる異様な臭気が長くこもり その凄惨さは筆舌に尽し難い 私たちは今宇和島空襲で亡くなられた
三百人近い方々をしのび人の命の尊厳と平和の大切さを心に刻み 二度と過ちを許さない決意をこめて
この碑を建立する
一九八九年五月十日 宇和島空襲死没者追悼平和祈念碑建立世話人会
更新日:2008/09/21