太刀洗空襲

 

一木神社

福岡県甘木市

延命地蔵菩薩

由来

古来、当地は北に太平山を仰ぐ静かで豊な平和郷であったが、太平洋戦争勃発により、近くの

太刀洗飛行隊を中心に航空廠、製作所、高射砲隊、陸軍病院等が設置され、一大軍都と化し

ていた。

かくて昭和二十年三月二十七日、午前十時ごろ、太刀洗を目標とする米軍のB29爆撃機の大

編隊による初の空襲に見舞われたのである。

折から、終業式の最中であった立石国民学校児童は警報と共に地方別に急ぎ帰途についたが、

一ツ木地方の児童が生徒隊に至るころに、太刀洗の爆撃が始まり、このまま一ツ木に帰ることが

あやぶまれ、引率訓導の指示により学校近くの頓田の森へ退避したのであったが、不運にも退避

し終わった刹那、投下された爆弾により大多数の児童の命を奪ったのである。

即死せし児童二十四名、重軽傷数十名の犠牲を出し、後刻死亡せし児童と合わせて三十二名と

いう大惨事となったのである。

一瞬にしてわが子を失った親の悲しみと切なさは、やがて平和を願い亡き子の冥福を祈る心の現

われとして、遺族一同相はかり同年十一月二十日この延命地蔵の建立となったのである。

この地蔵は、たとえ国家非常の時とはいえ、無垢で明るく天使のようないたいけな児童達の命を

爆死と云う最も無残な姿で奪われた親心の、二度とくりかえしてはならない戦争への憤りであり、

恒久の平和を願って止まない叫びであることを銘記すべきである。

 

延命地蔵菩薩

南無妙法蓮華経 為大戦争中空襲罹災一期学童之霊

 

頓田の森・平和花園

福岡県甘木市

爆心地

私達につづく戦争を知らない世代に

太平洋戦争末期、昭和20年3月27日国東半島から進入した米軍のB29爆撃機の大群は太刀洗

飛行場を爆撃しました。その時落とされた爆弾の一発が、この頓田の森で、立石小学校の児童31

名を殺したのです。このことを知る人が今だんだん少なくなっています、この時以来、児童達の親や

兄弟、祖父母は何を思い、何を考え、どんな毎日を過ごしてきたのでしょうか。私達は、この事実を

風化させることなく戦争を知らない次の世代の子供達に残さなければならないと思います。二度とこ

の様な悲惨な戦争は繰り返してはならないのです。私達は古里甘木朝倉を愛しています。

この古里を愛する心を一人一人が育んでゆくためにも「頓田の森 平和花園」をみんなで大事に育

てていきたいと思います。

昭和56年11月  社団法人甘木朝倉青年会議所

 

熊ヶ山

福岡県朝倉郡三輪町

太刀洗空襲戦没者 平和の碑

碑文

昭和二十年三月二十七日と三十一日 米軍爆撃機B29大編隊の来襲で 当地域に配備された

太刀洗陸軍飛行学校第五航空教育隊、航空廠、太刀洗飛行機製作所の軍事施設は 爆撃で壊

滅し多くの軍人、軍属、学徒動員等が犠牲となった 犠牲者の数は定かではないが三百柱にのぼ

るともいわれる 当時の住民有志は身元確認不能の遺体を無縁仏とするに忍びず 現三輪中学

校で荼毘に付し 当地にお祀りしてきたものである

茲に 五十年が経過した今日 在天の霊の冥福を祈るとともに 改めて不戦の誓いをなし 日本

の平和が永遠に続くことを念じ 此の地に「平和の碑」を建立するものである

平成七年三月  三輪町建立

 

太刀洗空襲戦没者 平和の碑

鎮魂

大義に殉じ 散華されたみ魂よ

親族同胞に想いを馳せ 故郷の空を夢みて 切なくも茲に眠る

永遠に安かれ

 

甘木公園

福岡県甘木市

甘木女子挺身隊の碑

碑文

くちなしの花咲く夕べ静かなり やめよたたかい敵も味方も

去る大東亜戦争の末期、軍に徴用された私達女子挺身隊員一千数百名の乙女は、ここ甘木の

数ヶ所の寮に分宿し太刀洗飛行 場を中心とする幾つかの軍事施設に於て最低の位置に甘んじ

ながら、一切の欲望を捨て、必勝の信念に燃えつつ日夜青春のすべてを軍用機の生産に打ち

込みました。

戦後すでに久しく、現在の豊かさと平和の中で、ともすればすべてが忘却の彼方に消え去ろうと

していますが、私達がかつて此の地に燃やした憂国の至情と苦闘を記念し、内外の戦争犠牲者

の冥福を祈り、今後再び戦争を許さず平和日本を英気有に永久に守り抜く決意の証としてここに

此の碑を建てます。

 

菊池公園

三井郡太刀洗町

菊池武光銅像

 

菊池武光銅像 馬体の弾痕

 

菊池武光銅像 台座の弾痕

 

都市空襲

更新日:2010/01/17