傷痍軍人療養所 爆撃

 

熊本再春荘病院 沿革

昭和17年11月 傷疾軍人療養所「再春荘」として創設 

昭和18年 3月 看護婦養成所を設置         

昭和20年 5月 敵機による爆撃(6名死亡)     

昭和20年 8月 終戦                

昭和20年12月 厚生省に移管国立療養所再春荘として発足

 

熊本再春荘病院

熊本県菊池郡西合志町

留魂碑

碑文

昭和二十年五月十三日午前六時 突如空襲警報発せられ荘長職員ともに警戒に就く 既にして敵機荘内上空に襲来するや

患者に退避を連呼しつつ全員突差に本館前防空壕内に退避せり その刹那頭上グラマン機編隊より投下せし爆弾二個は不

幸本壕に命中 一瞬にして荘長等六名の命を奪い去れり 時に午前六時五十分 今殉職職員の名を列記し謹んでその霊を

弔わんとす

 

荘長    本郷孝久博士    四七

栄繕手   松下正徳      三二

看護婦   村上敏枝      一七

土橋圭子      一七

堤 瑞子      一七

緒方あさ子     一五

 

惟ふに諸子は戦時下幾多の困難不便を忍び 一意患者の診療防護に努力しつつありしに 測らずも遂に不慮の死を招き

戦争犠牲者となり畢りぬ さりとての挺身看護の精神は炳としてなほ今日に存す 諸子の霊亦■土に留まりて宛然患者を

養護するに似たり その殉職献身の志を無にせず かつ今次無謀の大戦を人類史上の最終戦として世界永遠の平和を期せ

んには 一に職■療養者の俟たずんばあるべからず 刻して以て銘とし 仰いで以て亀鑑となさむ

昭和二十六年十月十三日

 

傷痍軍人療養所当時の給水塔

 

都市空襲

更新日:2011/11/27