大湊空襲

 

空襲の記録

昭和20年 7月14日 下北駅で停車中の上り列車に銃撃、機関士1名が殉職

昭和20年 7月15日 国鉄大畑線運転中の列車に銃撃、添乗指導中の大湊機関区助役が殉職

昭和20年 8月 9日 大湊空襲

 

昭和20年 8月 9日

大湊湾には海軍大湊警備府が設置され、「常磐」を旗艦とする機雷敷設艦部隊「高栄丸」「千歳丸」、海軍特設

輸送艦「浮島丸」が停泊、また芦崎湾にも損傷中の駆逐艦「柳」などが停泊しており、その総数20隻。

昭和20年 8月 9日、大湊湾に米空母艦載機が来襲、「常磐」「柳」が大破した。「常磐」は浸水が激しくポンプ

を使って懸命に排水し、芦崎湾に擱座して辛うじて沈没を免れた。

「常磐」は北海道方面にて敷設する予定の800キロ機雷600発を搭載しており、誘爆により大湊の町に及ぼす

二次被害を回避する目的から、全ての機雷を海中へ投棄する作業が行われ大湊町民への被害は少なかった。

死者129名(「常磐」乗組員109名、「柳」乗組員20名)負傷者は300名以上。

事実上、大日本帝国海軍の艦艇による最後の海戦となった。

 

敷設艦常磐

 

平成17年、地元の大湊小学校の学芸会で、敷設艦常磐の史実が「芦崎炎上」と題して舞台披露され、来場者に

大きな感動を呼んだという。

 

常楽寺

青森県むつ市

海軍戦病没者留魂之碑

碑文

昭和二十年八月九日、大湊港停泊中の軍艦「常磐」 駆逐艦「柳」は、米空母より発進のグラマン機の攻撃を受け、

両艦併せて百二十五名の将兵が戦死。これら御遺体は当山墓地にて一括荼毘に付され、その遺骨は一部ご遺族

に返されましたが、大量の焼骨が残され、墓地一隅に安置されておりました。

昭和二十六年に至り、慰霊碑建立が発願され、大湊町や県・国よりの援助、そして当山ご詠歌講「金剛講」による托

鉢や、町内外有志よりの募金により、ようやく完成。カマス六袋のお骨を納め、昭和二十七年十二月一日落慶式典が

挙行されました。

これを機に、海軍戦病没者留魂之碑奉賛会が組織され、大湊地区出身戦没者供養と併せ、昭和二十八年五月二十

七日第一回定時例祭を執行、以来、平成六年五月二十七日第四十二回定時例祭と併せて戦没者五十回忌法要が

厳修されるまで、毎年慰霊祭を執行しましたが、それをもって奉賛会は解散。その後、海上自衛隊OBで組織する「水

交会」が供養を引き継ぎ、毎年「海の日」に慰霊祭を執行致しております。

 

軍艦「常磐」 駆逐艦「柳」戦没者御霊名録

 

 

軍艦常磐の外舷部

碑文

昭和20年8月9日 大湊湾において米海軍艦載機と交戦し 芦崎に擱座し戦後解体された

建造 明治32年 英国アームストロング社

寄贈 海上自衛隊大湊造修所

奉納 昭和55年5月 奉賛会

 

都市空襲

更新日:2009/11/01