改造空母「しまね丸」爆撃

 

しまね丸 船歴

昭和19年 6月 8日 特TL型戦時標準型タンカーとして川崎造船所で起工

昭和19年12月19日 進水(石原汽船所属)

昭和20年 2月29日 竣工、海軍が徴用

昭和20年 7月24日 香川県志度湾に停泊中、英艦載機の爆撃を受け沈没、船員6名が戦死

 

 

四国村(民家博物館)

香川県高松市

    

警鐘台(商船改造空母「しまね丸」マスト)

 

  

鉄骨に残る弾痕

説明板

旧所在地 香川県大川郡志度町鴨庄白方

この警鐘台は、もと護衛空母「しまね丸」の無線マストであった。

しまね丸は、全長160.5メートル、幅20メートル、排水量20,469トン、速力18.5ノットの

大型油槽船で、輸送船としての能力を残しながら飛行甲板を取り付けて、対潜哨戒機の発着

を可能とした民間籍(石原汽船)の空母であった。

昭和20年2月28日、神戸の川崎重工で完成後、使用の機会の無いまま同年4月3日志度湾

の長浜沖に隠された。このころから本格的な連合軍の空襲が始まり、7月4日は高松空襲、次

いで7月27日にしまね丸は4隻の英空母機の集中攻撃を受け二つに折れ沈没した。

終戦後の昭和23年、解体引き上げられることとなり、その際、地元の有志がマストを貰い受

け、警鐘台として活用してきたものである。尚、警鐘台下方部には、攻撃を受けた際の弾痕が

見られる。

 

大串港

香川県大川郡志度町

大串港

地元の古老の話では、右方の山を越えて米艦載機が来襲し湾内に停泊していた「しまね丸」を空爆、

船は一瞬にして二つに折れて沈んだらしい。

 

 

    

火の見櫓に残る弾痕

 

都市空襲

更新日:2008/03/02