久留米空襲

 

昭和20年8月11日 午前10時頃、雲ひとつない青空に一機の戦闘機が焼夷弾を投下、米艦載機P26・

P38 約50機による久留米空襲がはじまり、町には真っ黒な煙がたちこめ酸素不足と火災による熱風で

大混乱となった。

死者214名、重軽傷者176名、罹災戸数は4,506戸にのぼり、被害面積は市街地のおよそ70%に達した。

 

小頭町公園

福岡県久留米市

久留米空襲 戦災死者之霊碑

碑文

第二次世界大戦末期の昭和二十年八月十一日午前十時三十分頃、わが郷土久留米市上空に現れた

米軍戦爆連合(B24・B29・その他)約百五十機による油脂焼夷弾投下で炎天に乾き切った市内は、一

瞬にして猛火に包まれ地獄さながらの惨状となりました。このことは、有史以来私たちの祖先がかつて

経験したことのない災害であります。

この霊碑は、郷土防衛の犠牲となられた二百十四名の尊い生命を悼み犠牲者を最も多く出した小頭町

公園の一角に昭和二十七年八月十一日建立されました。

久留米市においては、戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、昭和五十九年七月に「久留米市は核

兵器の廃絶と恒久平和を願う水と緑の人間都市である」と宣言し、平和事業を推進しています。

久留米市

 

都市空襲

更新日:2008/10/15