加治木空襲

 

昭和20年 4月26日

延べ5万坪が焼失、死者17人を出した。

 

昭和20年 8月11日

米軍機18機が焼夷弾投下と機銃掃射が行い、延べ19万7000坪が焼失、死者26人を出した。

この中には旧制加治木中学校(現加治木高等学校)の生徒15人が含まれている。

これらの空襲により加治木市街地の広い面積が焼失し、主要な官公庁もほぼ焼失した。

 

加治木高校

鹿児島県姶良郡加治木町

殉難学徒之碑

碑文

昭和二十年(一九四五)八月十一日、この日出校日にて、朝より暑き日なりしが沖縄発進の米軍機の

空襲を受く。焼夷弾投下により校舎炎上焼失、無差別機銃掃射を受け、学友十五名死亡、負傷者数知

れず、その惨状眼を覆うばかりなり。四日後即ち八月十五日終戦、痛恨極まりなし、嗚呼。

ここに同窓相寄り殉難学徒の名を印し、遺影を刻して御冥福を祈り、永遠の平和を願わんとす。

殉難学徒よ、以て瞑せよ

 

都市空襲

更新日:2012/09/02