日向灘空域戦没者鎮魂碑

 

遠見山

宮崎県東臼杵郡門川町

太平洋戦争日向灘空域戦没者鎮魂碑

この鎮魂碑の由来

太平洋戦争末期 昭和二十年はじめから終戦の日まで ここ日向灘から豊後水道に至る海域は激戦場となり 

敵味方多くの飛行機が墜ち 搭乗者たちがかれらの祖国に殉じた 戦後三十二年目の秋 門川町沖合いの海

底から引き揚げられた一個のエンジンは 未だその海底のそちこちに眠り続ける戦死者達の無言の呼びかけ

であっただろうか

これを機に三十三回忌の供養を行い 若くして逝ったかれらの霊を慰めるべく 門川町の有志と多くの協力者

によってこの碑が建てられた 碑銘はこの空域で戦死した一人 鴛渕 孝海軍少佐の旧部下であり 義弟でも

ある航空自衛隊航空総隊司令官山田良市空将の筆によるものである

昭和五十三年十二月十四日  碇 義朗

 

太平洋戦争日向灘空域戦没者鎮魂碑の傍らに建つ観音像

 

日向灘

 

本土防空

更新日:2009/08/30